過去に乗ってきたクルマ達
2輪の車歴は下のリンクから行ってちょ!


過去の車歴(4輪)・・・

  
車歴です。
1st.ミニカエコノ 2nd.ヴィヴィオRX−R 3rd.カリーナGT−R   
4th.スープラGTツインターボ 5th.ビート(1代目) 6th.ビート(2代目)    
企画展 軽自動車ジャンキーの館 new!



H2年式ミニカエコノ4WD(H15V)


BENが免許を取って最初に乗った車。親父がどこかからもらってきた。
怖くていくらで譲ってもらってきたかは聞かなかったが、最近になって
「2万円」だったことが発覚する。
3気筒550ccキャブNAエンジンは30馬力と非力ではあったが
4駆の軽くない車体を健気に走らせていた。
BENはこのクルマで雪山走りに目覚める。柔らかい足と非力なエンジン、
そして直結4駆とコンパクトな車体がとても雪道には向いていた。
39,500キロでうちに来て、2年と少々で97,000キロまで乗って
友人のファーストカーとなった。




H4年式ヴィヴィオRX−R 4WD(KK4)


BENが就職後に買った車。夏の走りは捨てて雪山のために軽量、
コンパクト、ハイパワー、4WDという条件を満たす軽の4駆、過給器付きを
選ぶ。何を血迷ったか95,000キロと、手放したミニカとわずかしか違わない
個体を買ってしまう。以降、大小いろいろなトラブルを体験することになるが、
まあいい体験だろう、と思うことにしている。
H4年型の最初期モデル(Aタイプ)だが、後にこの個体が限定車だったことが
ひょんな事から分かる。「S1」と呼ばれたこの仕様は当時のAタイプには
無かったシルバーのボディカラーとちょっといいオーディオ(買ったときには
付いていなかったが)、その後UVカットガラスがでるまで出てこなかった
「熱反射ガラス」というのが採用されていた。
雪道での性能はさすがで、狭い雪山の道でスピンモードになってしまっても
何とか持ちこたえるコンパクトさ、低速から使えるスーパーチャージャー付き
エンジンは本当に扱いやすい。
現在200、000キロ(2001年初秋)だが、快調に走っている。
20万キロ記念に今までのヴィヴィオをちょっとまとめてみたのでこちらまで。




S59年式カリーナGT−R(AA63)


  BENがファーストカーに軽を選んだのは雪山のためだけではなく、もう1台
セカンドカーをいつか買うつもりでいたからである。
21歳の頃、軽自動車の安全性を(対外的に)考え直さねばならない事故が起こり
普通車乗用車を買うことにした。「ドン殻だけ軽より大きければ」と考え、
昔から欲しかったAA63を会社の先輩から譲ってもらう。ハチロクと同じ
縦置き4A−Gを積む4ドアFRセダンは譲ってもらったときから特製の
車高調が付いていた。峠では非常におもしろかったが、街乗りでは同乗者に
大不評を買うことになる。
この車の車検を機にまた先輩に買い戻される。所有期間は4ヶ月ほどだった。




H2年式スープラGTツインターボ(GA70)


カリーナを手放す前にユーノスロードスターを譲ってもらえる話になっていたが
諸事情により、その話が無くなってしまった。しばらくロードスターを捜していたが
途中から欲しかった対象がロードスターからビートに変わる。
今度はビートを探していたが、納得いくコンディションの個体が見つからないうちに
スープラの出物の話をもらう。一度は少々大きなGTモデルも乗ってみたかったので
ビートまでの繋ぎとして(?)買うことにした。黒の2000ツインターボ、
ワイドボディのMT、大きく、重たかったので「プーぶた太郎1号」と名付けられる。
非常に安く買ったが手と金を加えて修理する事になる。柔なアシまわり、
大きな車体ながらも峠などでは思いのほかよく走り、またドッカンターボながらも
乗りやすかった。2月末に買い、10月の車検が切れるまでのつきあいに
するつもりだったが、なんと4月に友人に頼まれて彼に譲ってしまう。所有期間約40日、
今までで一番短いつきあいだった(笑)。彼の元で今だ元気に走っているようである。
<追記>
2000年5月、このクルマはその彼のクルマ買い換えを機に廃車になったそうである。




H3年式ビート(PP1)1代目


スープラを買った直後に人生の最終目標のつもりだったスーパー7(バーキン7だが)
の出物の話が入る。1.6リッターのKENTユニットモデルだったが、
この話も家の事情により流れてしまう。そこでその勢いでほぼ納得のいく
ビートを発見、購入してしまう。まだそのときは
スープラを持っていたので、一時は3台所有という事になっていた。
黄色のほぼフルオプション車、走行37,000キロのイエローの個体であった。
その後、短大時代の先輩の誘いでインターネットカークラブ「社会的不適合車
協同組合(現在”組会”。以下社不協)」に入るきっかけとなったクルマでもあり、
インターネットを始めるきっかけとなったクルマでもある。
最初の1年は暑かろうが寒かろうがオープンで過ごしてみることを決め、
そして「オープンバカ」となる(笑)。この車体は購入約1年半後の’99年
9月に山梨県にて居眠り運転で転倒(!)、廃車になってしまう。
死ぬかと思った・・・。




H3年式ビート(PP1)2代目


先代をオープンで走行中に転倒、廃車というショッキングな事故でなくしたために
ちょっとオープンについて考えてしまう。その為、このころ「社不協」の影響を
大きく受けていたBENはポルシェ944ターボの購入を本気で検討していた。
その他にもローバー114GTiやシトロエンAXなども考えていたが、本命は
944だった。しかし、ふと何気なく聞いた某中古車店に格安のビートが入ってくる
ことが分かると、その場で「買います!!」と言ってしまう。オープンバカは
やめられなかった。ほとんど「素」で、且つBENがあまり好きではない赤だったが
先代の黄ビートからの部品の大幅移植と全塗装を胸に誓い購入を決めた。
だがしかし!
現物を見てみると、なんと先代であきらめていた「インチアップ」がなされていた。
しかも先代にも気に入って履いていた「ワタナベ」、さらにご対面前日に夢にまで
出てきたゴールドカラー!!(赤のボディに最も似合うホイールの色はゴールド
ではないか、と思っていた)。まさに願ったりかなったりである。その後、非常に
前オーナーのオイル管理が悪いことが分ったりしたが、致命的ではなかったため
リカバリーできた。ちなみにこの個体、ひょんな事から以前、黄ビートをまだ
探していた時に、某中古車屋で見かけた個体そのもののようだった事が分かった。
前のオーナーは約1年半で手放したようである。
このインチアップされたビート、フロントタイヤは問題ないのだが、リヤタイヤは
標準と比べてかなりタイヤ径が大きい。調べてみても14から15インチに
インチアップしてもちょうどいいタイヤ径になるタイヤというのが存在しない
のである。一番近いタイヤは「スマート」に履いているコンチネンタルのタイヤ
なのだが、異常に高い。考えあぐねていたところ、フロントタイヤと同じ銘柄で
ちょうどいいのが出てきた。非常にラッキーである。
ちなみに今だポルシェ944への未練は無くなっていない。




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