Okanagan Valleyの猛者

カナダの西部、ブリティッシュコロンビア州の内陸部にある湖に沿って開発されたオカナガンバレーの村村には、今も果樹やワインを作り観光を中心に生計をする人たちがいる。しかしこれらの人も時代とともに生活が変わってきているようだ。

この辺りにはアメリカの西部を北にアラスかまで通じる97号線が走っている。気候は雨が少なく年間雨量も300mm以下の乾燥した土地だ。

標高も380mから400mくらいのバレーと名がついてはいるが高原台地のような谷間の原野だ。南北に150kmほどの「Okanagan Lake」の周辺は豊かな水で果樹や農業を盛んにしている。

乾燥した空気と低い湿度と長い陽射しはカナダでも最も温暖なところと言われかなだのハワイとも言われている。このため暑地として人気が高くカナダはもちろんアメリカやヨーロッパなどからも観光客が訪れている。

最近では日本からの観光ツアーも始まりロッキーやナイアガラについで人気が出てきているようだ。ここオカナガン湖の中心ケローナには、カナダ西部の玄関口バンクーバーからジェット機なら40分でケローナ国際空港に着く、南がペンティクトン、中間がKelowna、そして北にバーノンの町に来ることが出来る。またここからアメリカにも近く国境まではすぐだ。

青い湖にはヨットや水上スキーを楽しむ水飛沫の筋が光り、ジェットボートが走り、のんびりと水上生活を楽しむボートホームもゆっくりと漂っている。

海岸の砂浜には海水浴場があり、一日中太陽に甲羅干しをするビキニ姿やダブパンの人などが真夏の太陽を浴びている。

また湖岸にあるいくつかのモーターキャンプ場には遠くアメリカなどから来た人たちがキャンプをしている。なんとものどかな所だ。

そんな保養地の中に「Summerland」と言う町がある。

湖から西に上がった河岸段丘にあるこの町はリタイア組み老人たちの生活の場所になっている。

年金生活で出来る余生の最後の場所として選んできた人たちが殆どだ。そんな人たちを支える仕事や観光で働く場所も増えてきて、最近は若者の定住者が多くなり、子供も増えて学校も増設されたそうだ。この町の自慢は老人ホームの充実と病院の充実だ。

町の中心には大きな老人ホームがあり老人たちはそれぞれに楽しんで生活をしているようだ。町の高台に登れば眼下にOkanagan湖の真っ青な湖が見える。

周りにはリンゴの畑が広がり、ブドウの畑や牧場が広がっている。

西には緑の森林が茂り豊かな原始林もまだ残っている。


髭の猛者

そんな町の小高い岩の山に、髭の男がいま日本の野天風呂を真似て自然石を並べた風呂の建設をしていた。その男はすべて自分で計画から設計、工事までをするのが楽しみで生きている男だ。彼の住む大きな家も自分の設計でカナダ人で隣に住む大工を使って建てたものだ。

急な岩の斜面を切り開いて家の基礎から道路まで建設したそうだ。その家もすでに5年経過して風呂の改造を始めたのだ。仙人のような髭と髪の毛でしかも大きな体は猛者の表現がぴったりの男だ。すでに子供は結婚して孫が生まれ今は爺さんだ。先月(6月)孫が生まれたばかりだが。

敷地は300坪あまりの土地に80坪の家と畑を作り日本の野菜も作って自給生活をしている。芝の庭もすべて自分で作り、敷地の周りにはブドウの木があり豊かに実を付けているが、秋にはワインに変わるそうだ。畑にはゴボウ、インゲン、ナス、トマト、エンドウ、などあらゆる野菜が作られている。消毒をしない有機野菜だ。彼の家からは真下に大きな老人ホームの建物が見える。また国道97号線がよく見える。町の全体が見えるよい所だ。

彼の奥さんは現在娘の出産で日本に帰っていた。奥さんもなかなか可愛い人である。彼は日本の代表的な企業の海外駐在員を始め現地法人の社長などしてきた、考えることがあって45歳の若さで辞めて、カナダの原始林に来たのだ。

ここですべてを自分の力でやり直してみようとしたのだ。当然家族も同意が必要だが、彼は会社を辞めるのもカナダに移住するのも当時は自分で決めて結果を奥さんに報告する典型的なワンマン親父であった。

それでもここまで付いて来た奥さんがえらい。しかし彼はカナダに来てすべての生活信条を反対にしなければならなかったのだ。逆転の発想だ。今現在があるのは奥さんがいたからこそ出来たことだ。また自分が何をするにも裏で助けてきたのも奥さんだ。そんなことをここに来てしっかりと理解が出来てきたそうだ。

それ以来奥さんを一番に考えるようになったそうだ。そのため現在は本当に見知らぬ全く違った生活環境の中でも奥さんと仲良く生活が出来ているようだ。今の家のほかにそこから50kmほど西に入った山の中に15千坪の別荘地があり現在別荘を建てるべく準備中だそうだ。そのビデオを見たが、松の大木を切り倒し、木の根を抜き整地をして地鎮祭まで日本の大工がやる方式でやっている。三宝を置き祝詞をあげて玉串を奉奠しみな家族だけでやっていた。

石原さんが神主になり祝詞をあげてお払いをする。お神酒も日本酒を一升瓶であげてある。またお払いと四方固めのお神酒もまかれていた。すべて日本式にやっているのも面白い。

日本を捨てて来たのにここで伝統的なことは日本の方式で行い、カナダ方式でないやり方で気が済むまでやる。そして自分たちの生きる様を見つめているようだ。家を建てる時のビデオを見たが、荒れた土地の石を出して土を作りローラーをかけて芝を植える奥さんの姿を見て感激した。

髪の毛もいじる暇もないほどに働いている様子がわかった。手も足も体もすべてでこの荒れた原野に打ち込んでいるのだ。また子供たちも女だからでなく男と同じように働いている姿が会った。その娘さんも今は日本で先月母親になったそうだ。

頼もしい家族だ。彼の名前は石原丈夫。



彼と同じような考えで同じ町に住む元貿易会社社長の池田耕一さんだ。

彼も日本のバブルで自分の会社が倒産したのを機に会社経営を辞めて、カナダに来た一人だ。日本では大手企業に負けない貿易の仕事をしていたそうだ。特に精密金型の貿易では日本でトップクラスであったそうだ。長野県の山田電機や精工エプソンなどの他黒田精工など多くの企業が彼の仕事場であったようだ。

彼の子供が以前からカナダの大学に留学していたこともあり簡単に日本を捨ててカナダに来たようだ。

奥さんとサマーランドに来て、はじめに不動産屋から1500坪の家付きの土地を購入。家を改造してBBを始めることにしたそうだが「F&F IKEDA」と名前がついて現在のペンションを経営している。

敷地の周りを木の柵で囲み邸内には150本のポプラや柳それに松の大木が茂り自然の川が流れ岩魚が泳いでいる。なんとも大きな敷地だ。もちろん敷地内にはテニスコートもある。表の庭園には白いテーブルや椅子が幾つか置かれガーデンパーテーや食事が出来る。

また炭で焼く本格的なバーベキューの釜戸も作られている。暖簾のかかった焼き鳥の屋台もある。なんとも愉快な家だ。

彼はここで車庫を改造して家族連れが長期に利用できる部屋を作りペンションを経営している。部屋の建築も壁塗りもすべて奥さんと二人でやったそうだ。なんとも器用な人たちだ。

母屋には広いリビングとピアノがおかれた広い食堂、すべて風呂付きのベッドルームが三部屋、何時でも入れる大きな日本式の風呂などがあり、二階にも部屋がある。なんとも立派な部屋にゆったりとした空間を入れた家がすばらしい。

日本では到底考えられない設計だ。家族もお嬢さんと息子がバンクーバーで働いている。そんな家のボスは奥さんの静代さん通称キャシー(Cassie)。旦那はチーフだそうだ。すべてがボスの許可がないと出来ない。またボスの許可を得てチーフが行う。これに徹していると言う。それで「かかあ殿下」とは全く違う世界なのだ。

奥さんに出来ないことは旦那がやるのは当たり前、奥さんが出来ることでも旦那が出来ればやる。ただし奥さの仕事は取らない。お勝手の洗物は旦那、お客の接待や配膳も旦那、買い物も旦那の運転で行く。

私が訪れた日も、栄養士で調理師の奥さんは自慢の料理を作り、旦那がテーブルセットから配膳をする。焼き鳥も奥さんが串刺しの肉を作り、旦那が炭に火を起こし団扇で仰ぎながら焼いて行く。

まるで日本の焼き鳥の屋台にいるような錯覚を起こす。実に見事な連携と手馴れたものだ。

私たちも今日のお呼ばれは、始めての紹介と結花の婚約話を祝ってくれたのだがあまりにも立派なお祝いになった。シャンペンで乾杯、シャンペンを抜くボーイ役は石原さんがやってくれた。手馴れたものである。二人は何時もパーテーや食事をしているそうだ。カナダのサケの刺身にズッキーニとイカのマリネなどが出されたが実に美味い。また夕方の太陽が辺りの柳やポプラの並木越しに射して来てなんとも言えない風情だ。ここで石原さんのお嬢さんの結婚披露パーテーが行われたそうだ。50人くらい集まり盛大なパーテーとなったと喜んでいた。夜が更けるまで話し込んで11時過ぎに泊まる様にいわれたが断ってKelownaに戻った。

F6F IKEDAの設備や料金を紹介すると


オールシーズン、スポーツが楽しめますを合言葉に

テニスコート

ゴルフ(近所に名門コースあり)

釣り(釣り場多数、鱒釣りなど)

ウオータースポーツ(ビーチにて)

スキー、スノーボード(ビックホワイト、シルバースター、エイペックス・アルペン、

           クリスタル・マウンテン、)

パラグライダー、   

ワイナリーツアー、

乗馬・ハイキング

F&Fの設備と料金

広いベッドルーム   

キッチン付きスイートルーム  1部屋

リーガルバス・バス、冷蔵庫、食器洗い機付き、

日本式風呂   24時間入浴可能・温泉温浴器付き

駐車場およびテニスコートあり

チェックイン  午後3

チェックアウト  午前10

宿泊料金

  お一人様  一泊2食付き  大人(12歳以上)80$ 子供60$ 6歳未満30



もう一人の猛者は「Don KATO」加藤幸彦だ。

愛知県生まれの瀬戸市で育ち、山登りが好きでついにヒマラヤ男になった男だ。

名古屋山岳会ではリーダーを務めヒマルチュリ−遠征やギャチュンカン登山隊でも登頂し、エベレストスキー滑降の登攀隊長をやり、先年は長野県山岳協会のチベットの山に登っている。そんな彼はここに来る前は電機メーカーの海外支店に勤めていたが定年でカナダに来てかなだの会社に勤めていたがケロウナに魅せられてついにこの地に家を購入し永住の地と定めたようだ。

彼は得意な山の技術を生かし日本山岳会とカナダ山岳会に所属して今も現役だ。その彼が、ここを拠点に日本からの観光客をロッキーの山に案内する仕事を始めた。モーターホームも持ってロッキーのキャンプ場を巡るコースは日本からの観光客に人気がある。私も1994年に始めて彼の車でロッキーを旅してから毎年来ている。そしてついにKelownaに別荘を買ってしまった。

奥さんの美幸さんが作るキャンプの手料理と「Pention Don Kato」の食事は実にすばらしい。OkanaganKelowna市西部の山中にある静かな家だ。子供もすでに大きくなりお嬢さんがトロントの会社に勤めているスポーツ万能の女性だ。

ドンちゃんは通称で、私たち山の仲間はそう呼んでいる。彼ら3人はカナダの市民権を持ちカナダ人として生活している。

ドンちゃんがKelownaに住み着いたのは1990年頃。飛行機から眺めた景色に惚れ込んで即座に決めたそうだ。奥さんに相談も無かったようだ。

その後、山の手の静かな森に囲まれた現在の家を購入して手入れをし、ペンションとして使うことになった。そして現在では毎年彼の育てた名古屋山岳会のメンバーらが来ている。

夏のロッキーから冬のスキーまで行い、まずまずの出発で今は安定しているようだ。年金と蓄えでこれから人生を楽しむのだと言って、ゴルフ、山登り、スキーを人一倍楽しんでいる。また最近はビデオに懲り出しているようだ。



ケローナ空港の近くの広い農場には、野菜や花などが見事に成長し経営も成功している。

その名は荻輝男さん九州男児だ!

最近はこの辺りまで車のディーラーや商店が店を出し始め開発が進んできている。私が始めてケローナを訪れた1994年にはこの辺りは97号線から荻農場が見えていた。今では新たな建物が国道沿いに建てられ見ることは出来ない。

それでも荻農場は手書きの看板が馴染み客の目印だ。絶えることが無いほど自家用車で採れたての野菜を買い求める人の絶えることは無い。

春から初夏にかけては釣花や園芸用の花の苗が人気がありケローナの大半をまかなっているような感じさえする。

家の隣には昨年(1998年)大きなショッピングセンターを兼ねた花や野菜の売店を作った。輝男さんが一人で自作の建物で土地の整地から建設と大変な仕事だ。こうしたことは日本では考えられないが、カナダでは当たり前の事のようだ。

職人は自分では出来ないことだけを頼むのがこちらのやり方だ。九州鹿児島出身の彼は奥さんも同じ鹿児島からもらい一男2女をもうけ既に皆成人している。

現在は夫婦でアルバイトを雇いながら二人でできることだけをしている。それが我々には考えられないほどの多くの作業をしているのに驚かされる。

奥さんはすっかり日本語を忘れたかのように英語で話し掛けてくる。気が付いて途中から英語と日本語で話が弾む、九州弁で今でも訛りは残っている。

楽しい明るい性格の奥さんだ、この奥さんだから今の輝男さんも頑張ってこれだけの仕事を始めたように思える。





信州からあの甲子園を沸かせた野球少年がベンチャー企業家としてカナダのケローナで活躍してる。その名は「滝沢修(たきざわおさむ)」「OGTCnada Enterprise Ltd,」代表取締役だ。

1967年長野県更埴市生まれの野球からゴルフやスキーなどウインタースポーツまで何でも出来るスポーツ青年だ。今でも野球のことになると話が弾み少年のような輝きを見せる。

1985年(昭和60年)選抜甲子園大会に名門松商学園野球部で出場、惜しくも2回戦で敗退したがその豪腕で鳴らした甲子園経験を持っている。

その後も大学でも野球を選び卒業後はアメリカテキサスにて就職放浪生活をしたり、カナダに12ヶ月放浪生活してスポーツ専門店「株式会社スター商会」へ入社、1998年冬季長野オリンピックではスポンサーブースでの通訳として活躍。OGT Canada Enterprises」設立して19993月カナダのケローナ市に移住する。

その後は地元更埴市との国際交流協会委員として國際交流の活動をしている。長野県更埴市国際交流協会カナダ事務所長をしながら日本からの若者の面倒を見ており、現代の青年にしては発想の展開が早いのが頼もしい。

現在りえ子夫人と二人でケローナの高級別荘地区に生活の場を定めている。彼はまた現代の最先端IT時代をゆく、パソコンの専門家で、ケローナ市在住の仲間たちのホームページ作成などのサポートもしている。
これからの彼の国際的な活躍が期待されている。