圓光大師肖像 徳本行者肖像
掛軸修復


 長野市松代町清野に二百年以上昔に描かれたであろう掛軸が大切に保存されています。これは、地域信仰の伝統の中で一度も途切れることなく次世代に引き継がれた貴重な遺産です。度重なる千曲川の氾濫や疫病、そして飢饉など、恵まれた現代に住む私達には想像もできない自然の驚異の中で、当時の人々はお念仏の力に心の安らぎを求めていました。それが、ここ新馬喰町地区に伝わる念仏講「百万遍」です。
 大切に受け継がれた行事とは言え、共に年月を過ごした「お道具」もかなり疲れた状態で、大修理が必要となりました。数年前、自治会の役員を仰せつかった際、二幅の掛軸の仕立替を申し出て、風化寸前のお宝に延命措置を施すことができました。
 ここでは、今迄煤まみれで解読困難な裏書や、解体修理の時で無いとわからない軸の覚書等を皆さんに公開し、古文書に関心と見識の有る方からの情報を求めたいと思います。

この度修復が行われた掛軸

圓光大師(浄土宗の開祖、法然上人のおくりな)
文化10年と元治元年に掛軸に手が加えられたと思われる
(裏書から推測)
裏書には、由来と思われる古文書が記されているが、判読困難
徳本上人
宝暦8年(1758)和歌山県日高町に生れる。文政元年(1818)
江戸小石川の一行院にて没。行年60歳
幼い時より仏門を志すが、両親の反対を受け叶わなかった。
27歳にてようやく仏門に入り、修業を重ねて高徳の念仏行者として
第一人者となる。
文化11年(1814)8月から地方巡業を始め、伊豆、相模,下総、
信濃、飛騨、越中、加賀を巡り江戸に戻る。
信濃路へは文化13年に訪れほぼ全県下に墨蹟を残している。

徳本上人の「名号碑」
徳本行者の筆と一目でわかる個性的な書体。
長野県下には181基が建てられ、松代町内にも
5基が残されている。

写真は大信寺
平成18年10月1日に行われた「百万遍」

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