1974年(昭和49)に長野市指定文化財に指定
幕末の中級武士の長屋門に当たる旧白井家表門は建物の老朽化により保存が困難となり平成12年に現在の旧文武学校前に移転されました。
門の内側で台所として利用していた十畳ほどのスペースを改装し、現在は休憩所となってます。(12月から2月は休み)
ガイドボランティアが常駐し、観光客らと一緒にお茶を飲みながら交流などしています。
8代松代藩主、幸貫が佐久間象山の意見を聞き入れ蘭学や西洋砲術など西洋の学問を学ぶためこの藩校を創設しました。
1853年に藩主の居所である花の丸御殿が火災にあったため、実際の開校は1855年になります。
また、儒教を廃しており、藩校に見られるような孔子廟を設けていないのも特徴です。
1862年9第藩主真田幸教が江戸から母親お貞を迎えるための住宅として建てたものです。
建物自体はそれほど大きくないが、幕末期の大名屋敷の面影があります。
庭園は小堀遠州の流れをくむ回遊式の名園でもあり、春には庭園の桜が見事な花を咲かせます。
武田信玄が北信濃制圧と上杉謙信の進出に備えるため、山本勘助に命じて清野氏屋敷であった地に築城させたものです。
1622年、真田信之が上田城からこの城に移って以来、真田氏が城主として約250年続きました。
現在は松代城跡とも呼ばれてます。
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