保科氏発祥の地 保科より
名君保科正之公』を大河ドラマに


保科正之(1611〜1672)は江戸幕府ニ代将軍秀忠の側室の子で三代将軍家光の異母弟。1617年に高遠藩主保科家の養子となり、高遠藩を継承。その後、最上藩、会津藩の藩主を務めた。四台将軍家綱の補佐役として玉川上水の開削や明暦の大火の復興に手腕を発揮、会津では九十栽以上に終生米を支給するなどの施政を行なった。
私たちの住む保科地区は保科氏の発祥の地であり、正之公からさかのぼること5代 保科正利が当地をおさめていました。