行政そして司法にさえ踏みにじられた人権
それでも希望をもって最高裁へ上告
裁判原告 菅原和之
11月5日の東京高等裁判所(藤村啓裁判長)の出し
た判決は、「住民票を記載しない処分は違法ではない」という大変に不当なものでした。わずか一回の口頭弁論で結審。しかも一審原告側の証人請求や求釈明の 必要性を認めないまま審理を終結しました。東京地裁における、5回の口頭弁論と2回の和解交渉という丁寧に導き出した「住民票を作成せよ」という判断が、
いとも簡単に覆されてしまいました。行政によって人権を侵害され、やむなく司法に権利回復を訴えたにもかかわらず、その司法にさえ人権を踏みにじられたも のは、いったいどこに権利回復を求めればいいのでしょうか。判決当日、そんな思いにさせられました。
高裁判決は、戸籍のない者の住民票作成を原則として認
めないという内容になっており、この判決が確定してしまえば、住民票が戸籍の補完物という存在にしかならなくなります。この間、私たちの子どもと同じよう に、戸籍不記載のために住民票さえつくられていない方も多くいることがわかってきました。同じような思いをしている方への影響も少なくない判決です。私た
ちの力不足でこのような判決が出されてしまい、とても申し訳ないと同時に、この判決が確定してしまったら大変だという危機感に襲われました。
高裁判決を読み込めば読み込むほど怒りと不可解さがこ
み上げてきます。一つには、あろうことか、住民票不記載が違法ではないということの根拠として、田中さん、福喜多さんが闘った住民票続柄裁判の最高裁判決 を引用して「住民票は,住民に関する記録として様々な手続に広く利用される書類であるから,各市町村が独自の法令解釈に基づいて区々な事務処理をすること
は望ましいとはいえず,できる限り統一的に記録が行われるべきものであるともいえる」としていることです。この最高裁判決自体が不当なものではあります が、しかし、この最高裁判決は住民票を作成することについては前提とした上で、内容の記載方法について「できる限り統一的に記録が行われるべきもの」と
いっているだけで、「住民票を作成しないことを、統一的にしろ」などとは一言も言っていないのです。
そして、「嫡出でない子」という差別記載を拒否した私
たちの行為について、高裁判決は「父母の個人的信条に基づくもの」として切り捨てています。親の信条によってなぜ子どもが不利益を被らなければならないの か?また戸籍法上の不備が戸籍の不記載をこえて住民票不記載にまでなぜ及ばなければならないのか?説明はありません。そして何よりも、「嫡出でない子」と
いう表記の差別性は、国連からも何度も指摘され、相続差別の裁判における最高裁判決での裁判官からの意見表明からも明らかなことです。差別性が明らかであ る「嫡出でない子」という表記を拒否する行為を、単に「父母の個人的な信条」として切り捨てていいのでしょうか?
もう一つの不可解は、憲法14条の法の下の平等につい
ての解釈です。高裁判決は「同一自治体内に,同一事由で戸籍の記載がないにもかかわらず,一方は住民登録され,他方はこれを拒否されるという事態が生じる 可能性」について認めながら「そのような事態が生じたとしても,それは,各自治体が法の枠内で独自に行政を行った結果なのであって,そのような事態が生じ
たからといって法の下の平等に違反するということはできない。」としています。この件を何度読み直しても、私には理解ができません。それでは何を持って法 の下の平等というのでしょうか。
高裁判決の当日、弁護士会館での報告集会にお集まりく
ださった方の中で、「(この判決は)未来を奪う」という感想を言ってくださった方がいらっしゃいました。私もまさにそう思いました。子どもたちの未来を奪 われないためにも、この不当判決を確定させてはならないと思います。