戸籍でけんかしたい人のための基礎知識(1)



嶋崎久美子



はじめに



 私は東京都荒川区役所の職員です。3年前から出張所におりますが、その前12年間は戸籍係で仕事をしていました。

 私自身嫡出でない子として育ち、かつ嫡出でない子の母であるという立場で戸籍の実務に携わるのは、それなりにスリルのあることでした。

 戸籍課の中でも戸惑った人はいたみたいで、「戸籍制度には反対しても、仕事はやってくださいね。」と冗談めかして言われたことも有ります。

 でも、私が非嫡出子の母であることを職場の人たちみんなが知っていたからというわけでもないでしょうが、職場の中で差別的な言葉を聞くことはほとんどありませんでした。

 私はそれまでも"当事者"として戸籍実務には関心を持ってきたわけですが、戸籍係に異動してからは内側から法務省の対応やその変遷をみてきました。役所の限界はありますが、東京法務局戸籍課の個々の職員は、国籍課と比べると概してはるかに誠実でした。(例外もありますが。)それほど腹の立つこともなかったように思います。

 一方で戸籍の職員として窓口でさまざまな『お客様』と接し、貴重な体験をいたしました。感心することも多々ありましたが、それ以上に『お上』任せの態度に呆れ、憤ることのほうが多くありました。なぜなら、この『お上』任せの態度こそが『お上』のやりたい放題を許している大きな原因の一つであると私は考えるからです。(後に述べていくつもりです。)

 ここでは窓口での鬱憤晴らし(?)をしながら『お客様』のよくある間違いを場面ごとに紹介して、VOICEの読者の方々に戸籍について再確認していただこうと思いました。

 「今さら言われなくても、こんな事常識じゃない!」と怒らないでください。戸籍の窓口では毎日こういうやりとりをしているのですから。





場面1 戸籍の謄・抄本等の請求



(1) 戸籍と住民票の混同



『お客様A』 戸籍をとれば前の住所がわかりますか。

『お客様B』 もう荒川区に20年住んでいますから、本籍も荒川に移っているはずです。

『お客様C』 本籍は××区ですが、荒川に住んでいるので戸籍抄本は取れますよね。謄本はだめでも。

『お客様D』 筆頭者って世帯主のことですか。



 Aについて、戸籍謄・抄本には、住所は一切載っていません。前の住所を証明したいなら住民票か戸籍の附票を取ることになります。また、Bについて、住民登録の異動があっても戸籍は異動しません。逆に、戸籍の異動があっても住民登録は異動しません。Cにつき、本籍のおいてある市区町村でなければ戸籍謄・抄本は取れません。Dの筆頭者というのは戸籍の概念であり、世帯主というのは住民票のものです。

 ということで、当然ながらAからDはすべて誤りです。

 日本は管理の好きな国で、戸籍と住民票という二つの異なるシステムに、ほぼ全国民を登録することで二重に管理しています。

 戸籍は身分関係の公証、住民票は居住関係の公証とされているとおり、それぞれの目的は異なります。が、後からできた住民登録制度は戸籍をまねているところがあり、しかも住民票は世帯ごとに編成して作成されるので、戸籍と混同しやすい面があるのは確かです。

 しかし、出張所の窓口で戸籍謄本を請求する方のうち数パーセントは、住民票を必要としている方です。持参のメモを見ると「住民票1通」とか書いてあるのです。で、私「住民票と書いてありますが?」と聞くと、客「はい、住民票です」。私「請求書には戸籍謄本と書いてあります」と言うと、客「はい、戸籍謄本です」。いったいどっちなの!と苛々するのですが、ご本人は戸籍も住民票も同じものと思っているので涼しい顔です。

 これ程ではなくても、戸籍と住民票は全く別のものだという認識が希薄な方が驚くほどたくさんいらっしゃいます。

 これについては、また後述します。





(2) 『家』制度の意識

 

『お客様E』 筆頭者は『主人』の父です。  

『お客様F』 『家族』全部が載っている戸籍がほしいんです。

『お客様G』 先日夫が亡くなったので、今度私が筆頭者になりました。



 戦後57年、日本国憲法施行・『家』制度廃止から55年、すでに経過しているにもかかわらず、『家』意識は根強く残っています。



【Eについて】

 初婚どおしの方が婚姻届を出すと、多くの場合親の戸籍から抜けて二人の新しい戸籍を作ります。この扱いは、1948年1月1日以来変わっていません。

 しかし、私の感覚ですが、約半数の方はその事を知りません。(半数ですよ!)筆頭者が夫側の父だと誤解しているのです。若い人でも、「おじいちゃんが筆頭者です。」と間違う人がたくさんいます。

 今は2002年です。1948年ではないのです。それなのに、この現実、いったいどういうことなのでしょう!



【Fについて】

 Fの質問を受けると、私は困ってしまいます。『家』制度の時代、『家族』とは「家にある戸主以外の者」という定義がありました。しかし現行民法に『親族』の定義はあっても、『家族』の定義はありません。必要に応じて、誰々が載っている戸籍とか、誰と誰の関係がわかる戸籍というように指定していただきたいところです。



【Gについて】

 これもかなりの方が間違えます。

 戦前は戸主が実体的な権限を持っていたので、『家』制度にとって戸主は欠くべからざるものでした。戸主が亡くなれば、家督相続により新たな戸主が『家』を継承しました。しかし現行戸籍法では、「筆頭者とは一つの戸籍の最初に記載されている者」のことです。現在では筆頭者は戸籍を特定する要素の一つにすぎないことになっています。本籍と筆頭者が戸籍を特定するための"キーワード"という建前です。(実際のところはそんな形式だけのものではないと思いますが。)

 そんなわけで、筆頭者が亡くなっても戸籍の変動はありません。亡くなっても筆頭者は筆頭者です。





(3) 『お上』意識



『お客様H』 私の本籍わからないから、そっちで調べて。役所だったらわかるでしょ。あんたたちは私たちの税金で食べているんだから、そのくらいサービスしなさいよ。





 戸籍の窓口でこう言われる『お客様』が結構たくさんいます。(表現の差はありますが。)

 私の感覚ですが、戸籍をとりにくる方の半分は本籍・筆頭者を正しく書けません。(!)

 確かに役所が調べればわかります。それって便利そうですが、でもちょっと考えると怖くなりませんか? 自分自身が知らない自分のことを役所が知っているなんて?。役所の『お上』意識を支えているのは住民の『お上』意識じゃないかなあと、下っ端役人の私は思うのです。こういう方々は、住基ネットを便利でありがたいものと思われるのでしょうね。

 それとともに役所の側からいうと、『住民サービス』という言葉がプライバシー侵害につながる危うさがあります。最近の役所は『住民サービス』の大合唱です。私たち職員は、『お客様』のニーズに応えるサービスが要求されます。

 でも、窓口に来た『お客様』だけが住民ではありませんし、区長が対話した人だけが住民でもありません。声の大きい『お客様』のニーズに応えることが、他の住民のプライバシーや基本的人権を侵害する危険性もあるのです。

 私は、行政というのは法の適正な執行をする機関だと思っています。しかし、役所のトップや職場の上司は、"法の遵守"より"窓口の『お客様』のニーズに応えること"を重要と考えています。