差別記載は「法の下の平等違反」



K.R



<戸籍法施行規則「改正」>

  私は少数派(婚外子)の「女」である。戸籍の続柄「女」に執拗に拘りを持つので、「誰でも(女)という言葉を使うし、博多の(女)という銘菓もあるではないか」と慰められる。その(女)は多数派の(女)で、私が求めている愛すべき(女)でもある。

 だが、私の「女」は多くの婚外子やその母親が、人間の誇りを奪はれ、世の中の冷たい風に晒され、時には魔女狩りにも似た差別によって命さえも奪はれた少数派の「女」である。

 東京地裁判決まで、私は田中さんのご好意で「女」の苦しみを陳述書に書き、集会でも訴えを聴いていただいた。その時まで、「子(女)」に統一される時代の到来を疑ってもいなかったし、これからの子どもたちが平等な続柄で差別無く生きていける世の中を探求していた。私は嫡出子と同じ続柄を切望していたわけではない。

 11月1日に戸籍法施行規則が「改正」実施された。一見平等に見えるのだが、差別の維持が根底に潜む、残酷な「改正」に恐怖さえ覚える。<非嫡出子も「長男」「長女」、法務省戸籍法改正> 10月29日、毎日新聞報道。その後、婚外子の私は心が揺れた。差別解消へ向けて何かが大きく動き出し少し傷が癒えたかと思った。大切にしていた戸籍抄本を取り出した。言いようのない怒りが込み上げた。何度も味わった屈辱、人間の尊厳を踏みにじられたあの思いが蘇った。「謝罪なくして解放なし」。1月25日「法の下の平等」を求めて、再び東京高裁の傍聴席に座った。

 「改正」は続柄が平等になり婚外子を手厚く保護したかのように錯覚させる。何よりも憤りを感じるのは、私をはじめ婚外子やその親たちの心情を見事に利用し、差別維持を図った「改正」であることだ。この「改正」に婚外子の私たちが安堵を表明すれば、今の 「改正」で終止符を打たれ、婚外子の完全解放の望みが絶たれる恐れさえ感じる。これは、歴史の流れの中で何時も見え隠れする、被差別者を分断しながら差別維持を試みる、お上得意の手法である。

<私の戸籍>

  1938年、実母でない人を母に、生年月日も変えられ、続柄も「二女」で嫡出子として出生届が出された。1991年3月、戸籍上の母親との親子関係不存在確認裁判確定。1991年8月、戸籍訂正許可の裁判確定。母親は実母に、真実の生年月日に、続柄は 「女」と婚外子に訂正した。私の戸籍は縦線が無数に引かれて訂正され、正に傷だらけの戸籍である。区役所で申し出をして変更した、あの日の屈辱を忘れない。生年月日は真実を取り戻した代償として、職場や生命保険会社に戸籍抄本の提出を求められ、私の「女」は暴露された。

<先日、区役所へ行った>

  私の続柄は「二女」に縦線を引き「女」になっているが、申し出をしたらどうなるのか係りに尋ねると、彼は鉛筆で「女」の上に縦線を引いて右側に「長女」と書いた。奇妙なことに「二女」「女」「長女」と続柄が3つ並んだ。彼は本籍地を現住所に移すと続柄は「長女」だけの「きれいな戸籍」になると転籍を薦めた。しかし、結婚前の続柄表示は変更されずに他県に残っており、また「きれいな戸籍?」に惑わされて転籍すれば、この区役所にも古い差別記載は残る。自分の手で差別を拡大させる仕組みが恐ろしい。彼は再製申出の説明をしないで、好意的に転籍を薦めたから悪質だ。先に残酷な「改正」と書いたのは、このように、続柄差別を表だけ繕わせ、裏では差別が脈々と生き続ける差別維持構造に基づく悪質な「改正」だからである。

 私は53年間、嫡出子の戸籍で生きてきた。その間、人間の誇りを無くし、自分を卑下し、両親を恨み、心が休まる日は無かった。「女」に訂正した後、私は強くなった。何が問題なのかはっきり見えてきた。「変更申出」、私にはできない。表だけを繕った戸籍で苦しんだ私だからこそ「変更」はできない。「女」が(女)に完全解放される日まで怒りを忘れない。

 私には嫡出子の2人の姉がいる。二女の姉は私より15歳年上だが私が長女である。上の姉も長女で私たち姉妹には長女が2人になる。差別維持だけを念頭に置いた小手先だけの「改正」だからこそ、私の姉妹のような事例も現れるのだろう。

<孫娘の疑問?>

  私の孫は(女)と(男)の双子である。ある日孫娘が質問した。「私たちは長女・長男だけどA子ちゃんは三つ子の三姉妹でしょう。どうなるの?」「長女・二女・三女でしょう」「じゃ、五つ子ちゃんが五姉妹だったら、長女・二女・三女・四女・五女になるのかな〜」。同時に誕生する子に序列をつける? 孫娘の純粋な疑問である。

<離婚届に続柄?>

  先日たまたま離婚届の用紙をとったところ、父母との続柄欄があり驚いた。離婚するのに何故父母との続柄が必要なのか? 続柄の疑問がどこまでも付きまとう。私は、偶然この母の下に生まれただけである。いつまでも、いつまでも、差別される所以はない。

 3月24日、真に「法の下の平等」が判決の日に到来することを切望し、私は上京したい。