<最高裁判決解説>

 

つくれ住民票!裁判 最高裁判決への疑問

大村 芳昭

 

1.はじめに

 今回の裁判全体の流れから考えて、最高裁が画期的な判決を出すことは最初から期待できないと思っていました。それでも、せめ て地裁判決の趣旨を汲み取って、高裁判決よりは幾分でもマシな判決を出してくれれば、というわずかな期待(?)は持っていました。それをみごとに裏切って くれたのが今回の最高裁判決でした。以下、今回の判決について、地裁判決・高裁判決と比べながら、その疑問点を私なりに指摘したいと思います。

 

2.いきなりの違和感

 最高裁判決のコピーをいただいて、とりあえず一通り目を通そうと思い、ページを1枚めくった直後から、私は何とも言えない違和感に襲われました。そして、何度も読み返すうちに、その違和感の原因が「応答」という表現にあることに気付きました。

 この表現が最初に登場するのは、「第一 事案の概要」の「1」であり、そこでは「住民票の記載〜をしない旨の応答を受け」と あります。しかし、高裁判決でこれに対応する部分を見ると、「住民票〜の記載をしない処分〜をされた」となっており、高裁が明確に「処分」という表現を 使っていたのを最高裁が「応答」に置き換えていることがわかります。判決をさらに読み進めれば、最高裁が、住民票不記載は(行政訴訟の一種である抗告訴訟 という種類の裁判を起こすのに必要な条件の一つである)「行政処分」に当たらないからこの裁判は門前払いすべきだ、と考えていることがわかります。それを 前提として読めば、この部分も(賛成できるかどうかはともかく)決して理解できなくはありません。しかし、そのような判断を示すずっと前にいきなり「応 答」などと言われると、読む側としては戸惑ってしまいます。

 

3.違和感の拡大

 「応答」という表現にはこのように最初から違和感があったものの、「第一 事案の概要」の「1」は最高裁の立場から本件の事 案の概要をまとめたものですから、そこでどのような表現を使うかは最高裁の自由だと言われれば、確かにそうかもしれません。この表現一つのみを取り上げて 今回の判決を批判することは残念ながらできないでしょう。しかし、「応答」はこれっきりではないのです。上記の部分に続く「第一 事案の概要」の 「2」 は、「原審の適法に確定した事実関係等の概要は、次の通りである。」という書き出しで始まっていることからわかるように、高裁が確定した事実関係などを確 認する部分ですから、本件について東京高裁が下した判断を(一字一句とまでは言わないとしても)忠実に紹介しなければならないはずであり、高裁判決に対し て最高裁がどのような立場をとるにせよ、それを当然の前提とするかのような(言い換えれば高裁判決の趣旨を曲解するかのような)記述をしてはならないもの と私は考えます。

 ところが、ここでも「(住民票の)記載をしない旨の応答〜をした。」というように、「応答」の表現が用いられているのです。 これに対応する高裁判決の個所では「住民票の記載をしないこととした(本件処分)」としていますから、ここでも「処分」が「応答」に置き換えられてしまっ ています(ちなみに、地裁判決と高裁判決をもう一度眺めてみましたが、「応答」という表現は判決文中に一つも見つけることができませんでした)。

 

4.「違和感」ではなく「すり替え」

 判決を読み始めた頃、この「応答」という表現は、住民票不記載という行為が行政処分ではないことを示すために、「行政処分で はないもの」というような意味で用いられているように何となく受け止めていました。ですから、地裁・高裁と最高裁の立場の違いが用語に現れたものとして、 多少の違和感とともに受け止めていました。

 しかし、最高裁判決の核心部分を読むと、その「違和感」は単なる「違和感」ではないものであることに気付かされました。とい うのは、「第2 職権による検討」の中で最高裁は次のように述べているからです。「住民票の記載をすることを求める上告人父の申出は、住民基本台帳法〜の 規定による届出があった場合に市町村〜の長に〜応答義務が課されている〜のとは異なり、申出に対する応答義務が課されておらず、〜本件応答は、法令に根拠 のない事実上の応答に過ぎず、〜抗告訴訟の対象となる行政処分に該当しない〜。」 もし私が誤解していなければ、ここで述べられているのは、住民票の記載 を求める申出に対して「記載しない」ことを決定する行為そのものではなく、申出をした者に対して 「記載しない」と答える行為に着目して、それは事実上の 応答に過ぎず行政処分とは言えないから、その取り消しを求めることはできない(門前払いにすべきである)ということです。地裁も高裁も、住民票の記載をし ないという決定そのものに焦点を当て、それが行政処分に該当するとした上でその適法性を検討しているのに、最高裁はそのような議論の土台そのものをひっく り返し、「住民票不記載の回答が行政処分に当たるか」などという、およそ答えの決まりきった別の論点(とすら言えないようなもの)にすり替えてしまったの です。

 

5.催告か職権調査か

 今回の最高裁判決には、もう一つ、納得できない箇所があります。それは、「第3 上告人からの上告受理申立て理由(中略)について」の「2」で、職権による住民票記載義務の有無について検討した部分です。

 最高裁はこの部分で、まず一般論として「法〜は、当該市町村に住所を有する者すべてについて住民票の記載を〜することを制度 の基本としていることが明らかである。このことは、出生届が受理されず、戸籍の記載がされていない子についても変わりはない。」と述べています。そして、 出生届が提出されなかった子について住民票の記載をするための手続きとして「出生届の届出義務者に対し届出の催告等をし、出生届の提出を待って、戸籍の記 載に基づき、職権で住民票の記載をする方法(届出の催告等による方法)」と「職権調査を行って当該子の身分関係等を把握し、その結果に基づき、職権で住民 票の記載をする方法(職権調査による方法)」の二種類の手続があり、両者の優先関係ないし補充関係につき明文の規定はないとしながらも、出生届出義務と違 反に対する制裁、市町村長間の通知制度、住民基本台帳の正確性を阻害する行為の禁止等を理由に、届出の催告等による方法こそが原則的な方法であるとしてい ます。しかし、それらが何故、出生届未提出の場合の職権記載を例外に過ぎないとする根拠になるのか、理解に苦しみます。

 続いて最高裁は、例外としての職権記載について、世田谷区長が職権記載をしなかったのは「上告人母が上告人子に係る適式な出 生届を提出することに格別の支障がないにもかかわらず、その提出を怠っていることによる」ものであるとしていますが、そのような理由で職権記載をも行わ ず、あたかも住民票記載と引き換えに上告人が婚外子差別を受け入れることを要求するかのような対応をすることに問題はないのでしょうか。また、住民票の記 載がされないことによって上告人に看過し難い不利益が生ずる可能性があるとも言えないとし、その最大の不利益は選挙人名簿への被登録資格を欠くことである としていますが、多くの行政サービス上、住民票への記載がないことによって生ずる手続上の煩雑を無視してもよいのでしょうか。何れも、職権調査による方法 があくまで特殊例外的なものであるとの前提で考えると、裁判所の判断に妥当性があるかのように思われなくもありませんが、まさにその点、職権調査による方 法を例外に追いやったところに、上告人の主張を封じ込めようとする最高裁の意図が反映されているように思えてなりません。

 

6.少数意見について

 以上のように、最高裁判決は到底私の納得のいくものではありませんが、ここで今井裁判官の意見に注目したいと思います。

 今井裁判官の意見は、「反対意見」とはされていないことからもわかるように、結論については多数意見に同調するものであり、 住民票不記載の取り消しを認めようというものでもなければ、損害賠償請求を認めようとするものでもありません。ただ、本件において世田谷区長が「住民票の 記載をしなかったこと」(多数意見のような「応答」という表現は用いていません!)は住民基本台帳法による義務に違反すると明確に述べています。

そ の根拠については、出生届が提出されなかった子について住民票の記載をするための手続きとして2つの方法があり、そのうち届出の催告等による方法が原則的 方法であること、適式な出生届を提出しないことは上告人の非とすべきであることについては多数意見に同調するものの、住民票に記載されないことによる行政 サービス上の多種多様の不利益を放置してよいわけではなく、届出の催告等の方法により住民票を記載できないときは、職権調査の方法により住民票の記載をす べき義務があるとしています。言い方を変えれば、上記「5」の最後の段落で述べた2つの点(出生届を出さないのが悪い、住民票の記載をしなくても大した不 利益はない)につき、今井裁判官は多数意見の見解を批判していることになります。ごく限られた批判に過ぎませんが、多数意見の問題点の指摘としては注目に 値すると思います。

 

7.おわりに

最 高裁判決は本件のような場合に住民票記載の義務を否定しましたが、住民票の記載をしてはいけないとまで述べているわけではありません。むしろ、「第3」の 「2(4)」では「むしろこのような措置(本件で上告人子について住民票の記載をすること)を執ることで、上告人子に関する画一的な処理が可能となり、被 上告人(国)における行政上の事務処理の便宜に資する面もある」とすら述べています。ここだけを抜き出せば、最高裁のまともなことを言っているように思え なくもありません。しかし残念なのは、ここまで言っているにもかかわらず、それに続く部分で、世田谷区が住民票の記載をしないのは親の身勝手のせいだから 区の行為に違法はない、と続けていることです。高裁判決といい最高裁判決といい、婚外子差別の禁止に向かう国際人権法上および比較法上の動向にあまりに無 頓着すぎるのではないでしょうか。

 

8.地裁判決・高裁判決・最高裁判決のおおまかな比較

(1)住民票不記載の取消請求について

地 裁

子からの請求を認めた(住民票の不記載は区長の裁量権を越えて違法だから)

 

高 裁

請求を認めなかった(区長に住民票記載の義務はないから)

 

最高裁

請求を認めなかった(住民票不記載の応答は行政処分に当たらないから)





 

(2)住民票記載命令を求める請求について

地 裁

子からの請求を認めた(住民票不記載は違法であり、記載を命ずる条件も満

たされているから)

 

高 裁

請求を認めなかった(住民票不記載は適法であり、住民票がなくても重大な

損害は生じないから)

最高裁

高裁の判断を支持した

 

(3)損害賠償請求について

地 裁

請求を認めなかった(住民票不記載は違法だが職務怠慢とまでは言えないから)

 

高 裁

請求を認めなかった(住民票不記載は違法ではないから)

 

最高裁

高裁の判断を支持した(今井裁判官の意見は、住民票不記載は住民基本台帳

法との関係で違法だが、国家賠償法との関係では違法でないとした)

 

                           (通信Voiceより)