2000年7月26日 第三回口頭弁論報告


 戸籍続柄差別裁判原告 田中須美子

 この日も、傍聴席いっぱいになるほど、たくさんの方に来ていただきました。
 7月26日の口頭弁論は、夏休みなのでと一度は断ったのですが、そうすると口頭弁論期日が7月はじめもしくはそれよりも更に前になりそうでしたので、結局この日に落ち着いたという経緯がありました。
  しかしこれが幸いし、夏休みということで、高校生や中学生などの娘さんや息子さんと一緒にこの日の口頭弁論の傍聴および交流会に参加された方が何人かいました。そのうちの一人の肩から、後日次のようなメッセージをいただきました。

  「7月26日の東京地裁での裁判傍聴、交流会に参加させていただき、ありがとうございました。14歳の息子と、戸籍について話し合う良い機会になりました。母親の荷が少しだけ軽くなったような一日でした。」
  
 裁判終了後に、弁護士会館で裁判報告と交流会を持ちました。交流会の中で、高校生の方から、最近は中学や高校の授業(倫理社会、家庭科、政治経済(家族のあり方)、公民資料集)で夫婦別姓や婚外子差別の問題について取り上げられていること、婚外子差別の問題について授業でレポートにまとめたことなどの自己紹介をしてもらいました。
 口頭弁論がこの日になってホントに良かったと思います。

 国側、訴えの却下を求める準備書面を提出

 国側は、今回提出の準備書面において、裁判に訴えた内容につき争うのではなく、訴えたこと自体が不適法なので却下せよ(つまりは門前払いせよということ)との本案前の答弁と、差別記載は合理性があるとの主張(本案後の答弁)を行ってきました。その要約(本文はvoice111号に掲載)およびこれらの主張への批判も含め、下記にまとめました。
*赤字が、国側の主張
*<>内、→の分及び斜体は、田中記

第一 本案前の答弁
 訴えを却下する

第二 本案前の答弁の理由
一 <区別する記載をやめよという訴えの趣旨は、特定性を書き、不適法>
「続柄欄における嫡出子と嫡出でない子を区別する記載をやめよ」(区別しない記載をすることも含む)という原告側の請求の趣旨では、何を求めているのか特定されていない。
 また、戸籍の続柄の記載における、嫡出である子の場合の「長男」「長女」等の記載、嫡出でない子の場合の「男」「女」との記載については、戸籍法13条4号5号、同法49条2項1号、同法施行規則33条1項、同規則附録6号雛形に基づき行われている。
 そのような続柄欄の記載が嫡出子と非嫡出子とを区別することになるものかどうかは、他者の戸籍上の続柄の記載との関係において明らかになるのであるから、原告らの訴えは一人原告の子どもにとどまらず、原告以外の他者の戸籍の記載を含めて、区別する記載をしないように求めているものに他ならない。
 しかしそのような差し止めの対象を特定することは、理念的には可能であっても、現実的には不可能である。したがってこの意味でも、特定を欠いており、不適法である。

 →差別する記載をやめよという特定方法なのである。(続柄をなくすか、差別のない続柄にするか、どのようにするかは国が考えることであり、原告側は強制しない)

二<実質は法令の制定、改廃を求めるもので、具体的権利義務に関するものではない。法律上の訴訟性を欠くもので不適法である>
1 戸籍事務担当者は、法令上嫡出である子の場合、「長男」「長女」、嫡出でない子の場合「男」「女」と記載することこそが求められているのであり、戸籍事務担当者は、むしろ、原告らの主張するような行為をしてはならないことを覊束されている。原告らが求める「嫡出子と嫡出でない子を区別する記載をやめる」ことは、戸籍法及び戸籍法施工規則が改正されない限りなしえない。
 戸籍法の改正は国会の機能に属し、法務省令たる同法施行規則の制定、改廃は、法務大臣の権能に属する。原告らの訴えは、形式上は原告の子どもの記載を争う形を取っているものの、その法的実質は国会に対しては戸籍法の改正を、法務大臣に対しては戸籍法施行規則の改正を強制しようとするものに他ならない。
 このような訴えは、形式的には個人の権利義務に関する訴えであっても、その実質は法令の制定、改廃を求めるものであり、具体的な権利義務に関するものではなく、法律上の訴訟性を欠くもので不適法である。

 →「雛形は」あくまでも例であって、覊束されるものではない。
 →差別の記載を求めることが法令の制定、改廃を求めることになるから、不適法だというなら、法による差別を受けているものは誰一人差別の撤廃を求めた裁判などしてはならないということになる。これは強弁というものである。
 →国側の主張は、裁判所の立法審査権を否定するものである。

<行政訴訟としての義務付け訴訟であり、民事訴訟としては不適法>
2 仮に訴えが原告個人の権利義務に関するものであり、被告に対し特定の義務の履行を求めるものであるとすれば、かかる請求は行政訴訟としての義務付け訴訟と見られる。その適否はともかく、民事訴訟としては不適法である。

  →行政訴訟(義務付け訴訟)として訴えれば、民事訴訟であると言い(住民票続柄裁判最高裁判決)、民事訴訟で訴えれば、行政訴訟(義務付け訴訟)であるから却下せよと言う。行政を訴えた場合、どうあろうと、門前払いということではないか。つまりは行政を訴えてはならないということであり、裁判の権利が奪われているに等しい。

第三 戸籍の続柄の記載の合理性
1 このような記載方法は、民法上、嫡出である子と嫡出でない子との間において法律的地位に差異があることを踏まえたものであり、国民の親族的分関係を性格に、かつ一覧性をもって明らかにすることを目的とする戸籍制度の機能を維持するために必要なものである。
 仮に戸籍の続柄の記載をやめ、性別記載のみにした場合には、このような戸籍制度の機能を十分に果たし得ないことになる。

 →続柄欄で差別のない記載をすることは「親族的身分関係の正確な登録」に何等反していない。民法上の差異と続柄欄の記載とは直結するものではないにもかかわらず、差別の維持のためにこれまで直結させようとしてきたにすぎない。
 また、戸籍が目的とする、と主張している「一覧性」そのものを、「自らの手で崩壊させてきたのである。戸籍の父母欄の氏名しかり。戸籍のコンピューター化のために、父母婚姻中であっても、父母両方の氏名を記載するように変えたのである。

2 民法が法律婚主義を採用し、嫡出である子と嫡出でない子とを区分している以上、親族的身分関係を公証する唯一の公募である戸籍においても、両者を区分して記載することが要請されるから、正確かつ一覧性をもって明らかにするという戸籍制度の目的にかなう手段として合理的な根拠を持つものである。
 →民法で区分していること自体が憲法違反である。
 →民法で区分しているからといって戸籍の続柄で差別記載することとは、全くつながらず、非合理的主張である。
 →法律婚主義と婚外子差別の撤廃とは相容れるものであることは、多くの国で証明されている。
 →戸籍法には「戸籍制度の目的」なる記載は全くなく、それが全てに優先されるかの主張は根拠がない。