戸籍続柄裁判に寄せて



大村 芳昭



1 この裁判とのご縁

  私が「続柄裁判」と初めて出会ったのは、今から15年以上前、住民票続柄裁判が始まろうとしていた頃でした。当時私は、夫婦別姓の運動に参加してまだ間もない頃だったと思うのですが、別姓の活動でご一緒していた福島瑞穂さんや榊原富士子さんが、婚外子の住民票上の差別記載に反対する新しい裁判の代理人をなさるというお話を伺い、大いに関心を持って、原告を支援する「住民票続柄裁判交流会」に参加させていただきました。当時の私は大学院生で比較的時間的自由があったことや、東京都下に住んでおり「交流会」の集会や作業に比較的参加しやすかったこともあって、結構マメに顔を出していたはずです。そして、それまでほぼ縁のなかった「婚外子」を急速に身近な存在として感じるようになっていきました。

 その後、別姓運動で知り合ったパートナーと非婚の共同生活を開始し、自分自身が婚外子の父となり、大学の専任教員となるなど、生活環境が変わり、集会や作業や合宿に参加できなくなっていきました。それでも、住民票続柄裁判、そしてそれに続く戸籍続柄裁判には常に関心を持ち続け、たまには何らかの形でお手伝いをさせていただくような関係を続けてきました。

 顔を出す機会が少なくなってもこの裁判への関わりを続けてこられたのは、もちろん何よりも交流会の皆さんのおかげですが、私自身の思いも少しは関係していると思います。私が子どもの頃から大村家の長男として一家の命運を託されて育ってきたにもかかわらず、非婚の共同生活を選び、婚外子の父となり、結局大村家を潰すことになってもよいと考えたのは、日本の家族法の根元を牛耳る戸籍制度や戸籍意識に対する反発や、差別を恐れて差別者になることを潔しとしない気持ち、そして、娘にも差別から逃げずに立ち向かって欲しい(もちろん私も親として娘を全力でサポートするのは当たり前ですが)と思う気持ちが私自身の中にあったからです。そして、そういう気持ちを最も素直に表に出せるのが、この交流会です。そういう意味で、この裁判、この交流会は私にとって特別な存在なのです。

2 地裁判決の感想

  地裁判決を直前に控えた頃の私の思いとしては、一方で、婚外子差別の廃止に向かって進んできた諸外国の近年の動きや、子どもの権利条約の精神(子どもを差別しない!!)を裁判所が正しく理解していれば、原告の全面勝訴という結論しか出せないはずだ、という思いがありましたが、他方では、日本の裁判所が数多くの裁判で見せてきた、国際条約を軽視し、人権よりも秩序を重んじ、そして行政に追随するという基本姿勢からすると、決して予断を許さない、という悲観的な予測も頭の中を駆け巡っていました。また、両者の間をとって、仮に結論としては原告敗訴であったとしても、理由中の判断で国の主張を打ち砕いておいてくれれば、今後の展望が開けるかもしれない、という思いもありました。 そして、現実に下された判決は、結果的には原告敗訴、しかしプライバシー侵害は認める、というものでした。戸籍の記載がプライバシー侵害だというのは、ある意味画期的な判断だったように思います。それをとっかかりに、今後、続柄欄に限らず、戸籍上の様々な記載について、人権侵害ではないかとの問題提起をすることができるからです。

 それでも、地裁判決の中で疑問の残った点がいくつかありました。例えば、判決第3の1(2)は、戸籍のひな形は戸籍法施行規則の一部であって法的拘束力があると言いながら、戸籍法施行規則の制定改廃は法務大臣の権能に属するから、その改正を求めることに帰するこの裁判は、「法律上の争訟(=当事者間の具体的法律関係の存否に関する紛争で、法令の適用により終局的に解決できるもの)」ではないから不適法だ、と述べています。しかし、もしこの理屈を敷衍するなら、憲法違反の法令に異議申し立てをするような裁判は、一切「法律上の争訟」に当たらず、司法による救済は期待できないことになってしまいかねません。それでよいのでしょうか。

 また、判決第3の2(2)は、国連規約人権委員会から日本政府への1993年度のコメントは戸籍の記載そのものを取り上げており、続柄欄の記載を問題とするものではない、と述べています。しかし、それは規約人権委員会の審議の全体的な趣旨を理解していないといわざるを得ません。


3 戸籍法施行規則改正について

  住民票続柄裁判のときも、国は隙を突くかのようなタイミングで自治省( 当時) の通達を変更し、世帯主との続き柄を「子」に統一しました。そして今回も、一審判決の後、国が勝訴しているのにもかかわらず、施行規則を改正してプライバシー侵害の汚名を返上しようと焦りました。しかも、わざわざ婚外子差別の本質を全く理解できていないことがバレバレになってしまうような方法で。というのは、法務省が選んだ方法は「婚外子を婚内子にあわせる」というものだったからです(それに比べれば、婚内子を婚外子にあわせた住民票の続柄改訂の方がよほどマシというべきです。うちの娘も、従来から「子」だったわけですが、住民票の続柄記載の変更で婚内子も一斉に「子」となったことにより、 「やっと社会が我々に追いついて来たの〜」と思ったものです(笑)。それでも、連れ子の続柄などの問題は今でも依然として残っているのです)。ホント最低です。婚内子の続柄にこそ問題があるのであって、いっそこの際、戸籍の続柄欄は性別欄に変更すべきです。 しかも、改正前に生まれた婚外子については申出により更正するということですが、これは法務省が差別されている者の心情をまったく理解できていない証拠です。それどころか、下手をすると婚外子の間に分断を持ち込むことにすらなりかねません。うちの娘もこの手続の対象となっているわけですが、当然、そんな「うちの子だけ差別されなければいい」みたいな手続を利用しようなどとは思っていません。今後、当然のように「長女」 「長男」にされてしまう婚外子が増え、「女」「男」の続柄を持つ婚外子たちがますます肩身の狭い思いをさせられることを思うと、心が痛みます。


4 高裁判決に望むこと

  今までの流れからすると、高裁判決にどの程度のことが期待できるのか、よくわからないというのが正直な気持ちです。裁判官が原告側の主張にどこまで真摯に耳を傾け、それを判決内容に反映させてくれるか。今はただ祈るしかありません。でも、少なくとも、先ほど取り上げた「法律上の争訟性」と「規約人権委員会コメント」の2点については、もう少しマシな見解を表明していただきたい(否、すべきだ)と思います。そして、被差別者への恩恵(婚内子にあわせて「あげる」)ではなく、差別そのものをなくす方向に是非勇気ある一歩を踏み出していただきたいと思います。婚外子の父親としての立場から言わせていただければ、「うちの娘を名誉婚内子にしないでくれ!」というのが今の正直な気持ちです(かつての南アフリカでの「名誉白人」にひっかけてみました)。