勇気をもって、もう一歩を踏み出してほしかった
原告 田中 須美子
判決前の2004年2月3日に法務省交渉(女性差別撤廃委員会や子どもの権利委員会の勧告を受けての交渉)を行った際、法務省側がこれまでと違って前向きな姿勢で対応したことがとても驚きで、判決と何か関係があるのかなと思ったほどだった。そのあとも判決に向けてマスコミからの取材を次々に受けるようになり、だんだんもしかしたら勝つかもしれないとの思いが膨らみはじめ、勝てるようにマスコミ各社にこの裁判の判決に注目してもらおうとせっせと手紙を書き、本を添えてお願いしていった。ニュースステーション、ニュース23、NHKなどなど。ぎりぎりまでよく頑張ったと思う。終わったら温泉に行くのだと心に決めながら…。
そして判決当日。もしかしたら全面勝訴でやったね!と闘いも終わることになるかもしれないと勝利を強く期待して臨んだ。勝利への確信というよりか希望的観測だったのだが。 結局、闘いはピリオドを打つことができなかった…。
判決では、戸籍の続柄欄での差別記載について、国側が主張してきた「一見して明瞭に判別することの合理性、必要性」はなく、「一覧性」という概念もあいまいで合理性を基礎付けるに十分ではないと、原告側の主張に沿って国側の主張をことごとく否定した。そして結論として「嫡出子と非嫡出子を区別した記載は戸籍制度の目的との関連で必要性の限度を越えており、原告らのプライバシー権を害している」と認定した。
婚外子への続柄記載がプライバシー侵害と認定したことについては嬉しく思うし、被告の主張をことごとく排斥した展開はすごいともおもう。ただこのように国側の必要性ありの主張を斥けるのだったら、なぜ勇気をもってもう一歩踏み出し、違法性ありとしなかったのかととても残念でならない。違法性無しとした理由や訴えを不適法とした理由を読むと怒りすら沸いてくる。何しろ違法性無しと判断した理由がひどすぎるのだ。
これまで差別記載を違法とした判例がないこと(*判例がないのが当たり前だと思うのだが。もし違法だとの判例があったら差別が無くなっているのではないだろうか)、「戸籍上婚外子であることが明らかになっており、続柄欄での記載は、方法としての必要性の程度を超えているとの評価によるものであることなどの事実に照らすと、注意義務違反を怠ったとまではいえない」「記載は法務大臣の裁量に委ねられている」というのである。さらには何としても違法性無しに結論付けるために、規約人権委員会の勧告内容すら歪曲してしまうのである。
今回の判決が、「方法としての必要性の程度」の問題とし、法の下の平等違反にまで全く踏み込まず(差別記載がなぜ法の下の平等違反でないのだろうか)、違法性も認めなかったことは大きな過ちだと思う。このような内容だったために、国に反省の姿勢が見えないのだ。2004年3月19日の法務省との交渉の席ではただただプライバシー侵害を無くせばよいとしか言わない。プライバシー侵害も大事だが差別することが問題なのだということを判決は示さなかったのである。これが私にはとても残念で怒りを覚えるのである。
それでも裁判所をして「区別した記載はプライバシー侵害」と言わしめた力は、この4年間、毎回口頭弁論の際に傍聴席を埋めつくした多くの女性たちや男性たちの存在と大変な思いをしながら陳述書を書いて下さった方たちそして意見書を書いて下さった学者・研究者の方たちなどたくさんのたくさんの方々の支えの賜物だと思う。このような支えがあったからこそここまでこられ、この判決を引き出しその結果法務省が差別記載撤廃に動きだしたのだ。まずは今の段階で、これまで支えて下さった皆さんに感謝を申し上げたいと思います。心からのお礼を申し上げます。
ただ、私たちはこの判決にはとうてい納得できず2004年3月12日控訴状を提出し、高等裁判所に場を移した上で、こんどこそ差別記載は法の下の平等違反であり、違法性ありとの判決を勝ち取れるよう頑張りたいと思います。どうか引き続き熱いご支援をお願い致します。