自分と多くの女性の思いを重ねて

東海大学教員 谷岡理香



〇住民票続柄裁判を振り返って

  住民票続柄裁判を傍聴した頃の新聞資料ファイルを久しぶりに取り出してみた。1988年。「『非婚』夫婦の子供住民票続柄〜法改正を!の声高まりそう〜いまの時代にそぐわぬ」(毎日新聞5.17)。同じ時期、国立大学の女性教員が、結婚で姓が変わることで、自分の学者としてのキャリアが中断されるとして通称としての旧姓使用を法廷の場に訴えた記事も強烈に印象に残っている。芝信用金庫に勤める女性職員が、昇格、昇進で男性職員と差別されていると訴えたのもこの頃だ。男女雇用機会均等法が86年に施行されており、この頃、女性の地位、労働意識、男女平等に関する記事は多かった。

 当時私はNHKラジオセンターでニュース番組の契約アナウンサーとして出演していた。自分が出来なかったことを実践し、且つ闘っているカップルがいることを知り、広く世の中に伝えることで応援したいと思った。私は「結婚」=法律婚したことで、正社員アナウンサーの仕事も自分のアイデンティティである苗字も手離した苦い経験があるからだ。 (NHKで仕事をする前に局アナとして働いていた民放では、社内の同僚と「結婚」すると女性は辞めなくてはならない。不覚にも該当者になってしまった。)

 取材企画を挙げて傍聴に通った。地裁判決の日、ニュースでレポートを出した数日後、田中さんから「多くのメディアが判決について取り上げた中で、あなたのレポートが一番私たちの気持に近いものでした」と葉書を頂いたことは、放送に関わる者として大きな励みになった。その後、毎日仕事に追われ、傍聴に行けない事も多くなった。

〇アナウンサーと名前

  アナウンサーは毎日のように自分の名前が画面に出る仕事である。視聴者に名前を覚えてもらう事もアナウンサーにとっては大事なことだ。ある放送局では、戸籍名しか使用できない。結婚して苗字が変わったときも、「なぜプライベートなことを、公共の電波で知らせなくてはならないのか」と嫌な気分だったそうだ。数年後、彼女はもっと嫌な辛い思いをする。離婚したのだ。再び画面の表示名も元の姓に戻る。「離婚した」と公共の電波で報告しているようなものだ。街を歩いていても「離婚したアナウンサー」と指をさされているようで精神的に参った時期があったという。あれから数年。会社の規則は変わっているだろうか。

 もっと古い話になるが、NHKのある女性アナウンサーが、結婚後も従来の名前で(通称として)仕事をしたいと申し出たが叶わなかった。その後50代の女性アナウンサーが結婚することになった。局側もキャリアある女性に戸籍名をと強要はできなかったのだろうか。これを契機に後輩の女性アナウンサーも通称で仕事ができるようになったと聞いている。どちらの例も、選択制別姓が認められていれば、悩む必要のない問題である。

〇学生と傍聴に通う

  今再び、傍聴に通えるようになった。大学でメディアについて教える立場になり、学生を連れて傍聴に行く。裁判は住民票続柄から戸籍続柄へとステージを移しているが、共通して流れているのは「法の下の平等違反」の是正である。

 学生達の半分は、「結婚」したら夫の姓を名乗ることが「普通」だと思っている。なぜそのことで長く闘っている人達がいるのか「理解できない」学生もいる。多くの学生が傍聴そのものが初めてでもある。そんな彼らの意識が変わっていくのは、傍聴そのものよりも、その後の交流集会である。特に、田中さん・福喜多さん、そして支援者の皆さんと直接話すことが出来た学生達の意識の変化は大きい。(私も、若いカップルが傍聴に来ている姿を見るととても嬉しいし、田中さんたちの行動の偉大さを改めて感じる。)

 自分にとっての「普通」が他者にとって苦痛である事もある。特にそのことで、子どもが差別を受けるということはどういうことなのか、自分達なりに資料を探し、ディスカッションするようになる。皆自分らしく生きたいと思っている。今回のゼミの学生達も、自分の戸籍を取り寄せ、「結婚」すると続柄はどうなるのか。長男、長女と書くのは何故なのか。そもそも戸籍はいつから出来たものなのか。外国はどうなっているのかなど、自分と重ね合わせながら考えを深めていく。一方で、このようなことが、あまりメディアで取り上げられないことに気付く。メディアで取り上げられる事柄はどのような傾向があるのかにも意識が向けられるようになる。私が資料を元に話を繰り返すより、田中さん・福喜多さん、そして同じような思いを胸に闘っている(或いは闘えない)人たちに触れることが彼らにとって何よりの学びの場となっている。色々な学生がやってきて田中さん・福喜多さんにはご面倒をおかけしていると思うがお許し願いたい。

〇判決を前に

  今回の戸籍続柄裁判は、戸籍法施行規則の「改悪」、更に手続きの煩雑さや矛盾など、どんどん狭い方向に焦点が追いやられている感がある。しかし大切なことは、田中さんたちの訴える「法の下の平等違反」である現状をどうするのかである。17年前にスタートした住民票の記載は、実質勝利を勝ち取った。同時期の芝信用金庫の男女不平等待遇も、実質勝利の和解勧告だった。時代の風はこの頃怪しい方向から吹いてくるが、裁判官が司法の原点に戻って「法の下の平等」を守る砦となってくれることを願っている。