初めての家族海外旅行へ 


長野道ゲート

昨日は、朝の6時に起きて排便の準備をして排便を済ませ、10時に正典の車で成田に向かう。荷物はほとんどが2日前に宅急便で成田に送ってある。したがって車には手荷物だけで、そのほかには私の車椅子が乗っているだけだ。長野から成田へは開通したばかりの上信越道長野東インターから入り、長野道を経て中央道経由で東京、東関道を通って成田まで行く。約5時間の道程だ。すっかり長野も山は紅葉が始まり紅く燃えている。家を11時に出発して成田には午後5時に着けばよい。そんなつもりで正典のプジョーで出発だ。家から10分くらいで高速道路インターチェンジに着く、車は今の時間は少ない。更埴インターチェンジの周辺では今盛んに新幹線の工事が行われ、長野道を横断する高架橋の工事が見える。この高架橋には1997年10月に新幹線が走るのだ。間に合うだろうか。厚い雲の間からは時折青い空も見えるが一日ドライブ日和であって欲しい。安曇平も雲が多く北アルプスは眺められなかった。長野は曇り空で東京も天気は良くなかった。

長野道途中の双葉サービスエリアで昼食をする、なにも珍しいものもないので「山菜うどん」を食る。あまりうまくはない。久しぶりに東京の景色を見る。新宿の高層ビル群も、私が怪我をしてから完成した「都庁」のビルも大きい。それにまた新しく高層ビルが建設されている。東京は一日ごとに変わって行くのだ。都内に入って高輪辺りも相当に変わっていた。

品川から東京ベイブリッジに入ると辺りは完全に変わっていた。初めての湾岸道路を走りただ眼を見張るだけである。やがて幕張メッセ辺りに入ると新しい都市が生まれているのに驚く。ベイブリッジだ、今日はこの橋も今の時間は車が少ない。テレビでは良く見る橋だが通過するのは初めてだ。ベイブリッジこの橋の完成で千葉と東京が一段と近づいた。


また臨海工業団地や副都心構想による開発も進み今や東京の新しい名所になってきた。

 臨海副都心の工事現場を過ぎると東関東高速道に入る。そして成田へは高速で行けるようになった。この当りからは車の量が多くなりスピードを上げて走る車が多くなる。全く変わってしまった高速周辺は驚くばかりだ。成田に向かうが相変わらず車が多かったが今日は渋滞もなくスムースに成田まで来た。

 成田飛行場の入り口は大変な警備である。オウム真理教の事成田空港ゲート件で警戒だ行われていたのだ。通行者の車はトランクまで開けられ調べられている。

われわれも調べられるがカナダに行くとつげ、パスポートを提示して無事通過。正典の運転のうまさもあるが、予定の時間より早く着く事が出来た。空港の第2ターミナルの駐車場に入る。駐車場に入ると空港入り口に「身障者用の駐車場」があり、警備員が車の整理をしていた。私たちは2台ある障害者用駐車場の一つに車を入れて車椅子を下ろし荷物をカートに積んで出発ロビーに向かう。 

先日送ってある荷物を受取り、荷物を送る受付で搭乗手続きをする。ここで私たち家族のうち正典と結花がエコノミークラスの切符になっていたので、ファーストクラス受付でグレードアップは出来ないかを頼むと、係りの上司が来て切符を見てから何とかしましょう。と言って席を離れた。しばらくすると「それでは家族の2人はビジネスクラスにグレードアップしますから楽しい旅をしてください」と言って切符を切り替えてくれた。

おかげで子供たちも良い席での旅が出来て喜んでいた。チェックインが済み、手荷物が無くなったので、早速飛行場の中を見学してみる事にした。成田の見送りや見学用のタラップに上がり飛行機の離着陸を眺めていた。空港ではJALの人が私を一般の人たちとは別にして、最初に飛行機に搭乗させてくれた。搭乗には申し訳がないほど丁寧に扱ってくれ恐縮してしまった。今日の一日を振り返ると心配していた事は全てが順調にすみ、なんの心配もなかったようだ。

成田に4時過ぎに着き、成田空港の見学をしたり、遅れ馳せながら私の誕生祝にと松茸ご飯の夕食を済ませて搭乗したのだが、こんな成田見学デッキにてに長い時間車椅子に乗っていた事は始めてである。フライト時刻飛行機に乗るまでに11時間も車椅子に乗ったり車に乗っていた事になる。

身体も疲れるわけだ。この疲れが気持ち良く眠らせてくれたようだ。




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