日付変更線を超える


 既に日付変更線を越えてカナダ時間になりカナダ時間の午前10時になっていた。機内では皆、静かに眠っている。部屋の電気は消されており後ろに乗っていた人が、電気剃刀で髭を剃る音が聞こえてきていただけだ。

窓は全てシャッターが下ろされて外の光が入らないようになっている。私は外の明かりが気になって、シャッターを少し持ち上げると、まぶしい光が入りしばらくは何も見えないほどの明るさに感じた。あわてて閉めた。

イヤホンに流れてくる音楽を聞きながら今はどの辺りなのか気になる。太平洋の上だろうがどの辺りに来ているのかを知りたかった。しかしこの時間は機内では皆が真夜中の夢を見ている時間だ。私が眼を開いているのにパーサーは気がついて、何か飲物でもいかがですか?と暖かい蒸しタオルを差し出しながら聞いてきた。私は何となく口の中がさっぱりしないような気がしたので「コーラ」と言った。すぐに冷たいコーラが運ばれてきた。冷たいコーラは口の中を気持ち良くさっぱりとさせてくれた。

しばらくして室内の照明がつけられて、室内が明るくなった。窓の明かりは非常に明るくまだ開けるには迷惑になるような感じだ。飛行機は予定通り、順調に飛行しているとアナウンスが入り機内では2回目の食事が出された。これは軽食でカナッペ、スイカのマヨネーズ添え、かき薫製、ドライアプリコット、小海老マヨネーズ添え、それにコーヒーが出た。

vancouver-1すっかり腹が一杯になり、私はこれからの腹の具合やトイレの事が心配になってきた。無事に飛行機を降りるまでは「トイレタイム」にならないように願っていた。

外を見ると雲の間に太平洋の海がわずかに光って見える。1万メートルの高さで飛行しているのだ。ふだん取材で乗っているヘリコプターの高度とは比べものにならない。 

ファーストクラスの座席はエンジンの音も聞こえない静かなものだ。しばらく雲の流れや雲の形を眺めていたが、やがて雲が一面に張りつめて海が見えなくなってきた。そして雲が入道雲の頭の様な形が多くなってきた。

間もなくカナダに近づいているのだろうと思った。、4時30分眼下に陸地が見えてきた。カナダに着いたのだ!雲の間から川の流れが見えてきた。

vancouver-2まだ高度は高いが雲海の向こうにはロッキーの山波が見えるだろうか?眼を凝らして見るが何も見えない。

 ただ雲が高く広がっているだけだ。

バンクーバーは雨降りとの機内放送があったが、今雨は降っていないようだ。機体が少しずつ高度を下げ、旋回を始めている。

雲の中を抜けて雲海の下に出てきた。地上の景色が良く見える。大きな川の流れと大きなビルが立ち並ぶ町が見えてきた。vancouver-3これが話に聞いているカナダの西の玄関、バンクーバーなのか。

思ったより小さな都市だ。幾つもの川の流れがゆったりと流れ、その川には筏の様なものが流れている。さすが材木の町カナダの様子がうかがえる。

やがて飛行機は高度を下げてバンクーバー国際空港に着陸だ。近くには格納庫やいくつかの飛行機が待機しているのが見える。機体はゆっくりと滑走路に着き、エプロンに向かう。


vancouver-airport私の乗ったJALの機体の前にはCANADA航空(CP)の機体が何機も並んでいる。成田から8時間30分、初めての地カナダに来たのだ。

バンクーバー国際空港は思ったより静かだ。 

私が職員に移動用の車椅子に乗せられて飛行機を降りると、そこにはJALバンクーバー支店の航空所長の若林ケーシーさんが迎えに出ていた。私の車椅子を広げて待っていてくれた。挨拶もそこそこに彼は私たちの入国手続きを済ませて、次のカナダ航空の受付に向かっていた。

 荷物を受け取るカウンターでは少し荷物が出てこなくて待ったが、すぐに見つけだしカナダ航空の荷物の受付に運んでくれた。手に持つだけになったわずかな荷物をもってカナダ航空の待合い室に案内され出発までの時間をつぶした。カナダ航空のKELOWNA行きはプロペラ機でYSー11位の飛行機であった。この飛行機に乗るためには地上からタラップを使って搭乗するのだ。

しかしカナダの航空会社の職員が簡単に私を専用の車椅子に移し二人で簡単に座席まで運んでくれた。なんとも簡単な作業である。日本人ならこんな時どうして運ぼうか考えるところだが、彼らは毎日多くの人を扱っているのか極自然にしかも手慣れたものだ。またこの時に感心したのは彼らが身体も大きいが力もある事だ。

この飛行機にはカナダの東部に移動する人たちが多く乗っていて、ほぼ満員であった。機体が雲の中を抜けて東に向かっている。しかし雲の上には何も見えない。

mount-becer心の中で何とかロッキーが見えないかと思っていたが、それは無理のようだ。アメリカ側の山が手に取るように見える。

カナディアンロッキーは遥か東の山脈でこの場所からでは余りにも遠すぎるのだ。しばらくして右手の窓から遠く行きをかぶった山が見えてきたが名前はわからない。

早速地図を見るとそれは何とアメリカの山マウント・ベーカー(3285m)日本の富士山のような形の火山である。

下には森林か高原か判らない茶色の景色が見えるようになる。家も無い森林の中にまっすぐに伸びた道路や防火線らしき筋が見える。雲の切れ間から黄色く赤土のような大地も見え大きな湖が見えてきた。周りの山は禿山が多いようだが、枯れ草なのか開発されたのかは判らない。

だんだん大地が見えるようになってきたが、高い山は無く高原大地のような感じだ。家やビルは全く見えない、ただ牧場か荒れ地かわからないが黄色の大地と森林で覆われた高原が見える。

kelowna-airshottおよそ50分で目的地,[kelowna]に着陸だ。窓に雨が当たり始める。オカナガン湖の上で旋回を始め霧と雨の中を飛行機は何のショックも無くケローナの飛行場に着いていた。

窓から外を見るとターミナルの待合い室の中に、見慣れた髭の男が我々の飛行機を見ている。kelowna-airportドンちゃん(加藤幸彦氏)だ。

私は乗客が皆降りてから、最後に大きな身体の職員に車に乗せられて飛行機から降りた。飛行機のタラップを降りたところに私の車椅子が置いてある、そこに職員が簡単に私の身体を抱いて乗せてくれる。

私は馴れぬ英語で「サンキュウ、ベリマッチ」と言ってc$2を手渡して礼をいう。 彼らは嬉しそうに私に握手をして元の仕事に戻って行った。空港ビルには既に家族は入っていた、私はスロープを使ってターミナルの中に入る。

そこには加藤幸彦・美幸夫妻が待っていて私は感激の余り自然に涙が出てきた。私たちの思いつきの様な旅が本当に実現してケローナの大地に今はいるのだ。

二人で久しぶりの再会を喜び、早速荷物の受取や車への積み込みをしたが、荷物が足りない。私の最も大切な荷物「トイレ」が着いていないのだ。加藤ドンちゃんが空港に問い合わせるが、この飛行機には乗っていない。との返事で困ってしまった。私のトイレが無いと今夜からトイレが出来ないのだ。

なんとか探してもらうように頼むと、バンクーバーの事務所が閉店しコンピューターが動かないから明日まで待ってくれとの事だ。しかたなく積み残しでバンクーバーにあったらすぐに送るように頼み、加藤さん夫妻の運転する車に分譲して加藤さんの家に向かう。ケローナの飛行場は広々とした牧場の様な感じで余りにも簡素なのに驚いてしまった。

私は奥さんが運転する日本製の車(レガシー)に乗って荷物と子供達はドンちゃんが運転するフォーランナーで行く。辺りは少し暗くなり始めてきたが雨が時折降っているようだ。

oakanagan-buridgi高速道路の様な立派な道路に出てからしばらくすると,道路の両側に家やビルが見えはじめ、賑やかになってきた。しかし高いビルはない皆建物の階数は低いのに驚く。

okanagan-airモテルやスーパーが在る中りを過ぎると、やがて湖を渡り始めた。

これが有名な「オカナガン湖」である。

長い橋は浮橋で有名だそうだ。浮橋と開閉式の橋がつながっている。3車線の橋で時間によって2車線と1車線に切り替わるのだそうだ。湖にはヨットやボートが見える。

オカナガンの西側に渡ると丘のような山に向かって幾つもの別荘の様な家が見える。浮橋を渡りすぐに97号線から右に折れて山の斜面に向かってかがりくねった道を行く。 松の林に囲まれた家が連なっている。

小学校を過ぎてすぐに消防署がありその前の道を入った所にドンちゃんの家があった。何処の家も板葺きで家の玄関脇には車が2台以上入る車庫が付いており、庭には綺麗に手入れされた草花が植えられている。pention-don

二階建ての家には玄関に向かって左が車庫、で車庫の右に玄関がある。表札にはスキーの板にDON KATOの名前が書かれている。道路との間は芝の庭できれいに手入れされている。家の横には大きなモーターホームが停められている。

これが「Pention Don Kato」である。


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