クリーニング工房CoCo施設長(当時)
(現)法人常務理事  綿貫 好子

 皆さん、こんにちは。ただ今御紹介いただきました、クリーニング工房CoCoの綿貫でございます。ちょうどいい加減に皆さん、まぶたが下りてきている時間ではないかと思うんですけれども。私もここまで来るのにとってもいい天気で、あのアルプスが白く、きれいに、こう遠くに見えまして、お日様はサンサンと照りつけてくるし、あ−このまま、ちょっ上高地の方へでもドライブに行きたいな−なんて、ついこう車を曲がりそうになって、おっといけない、今日は仕事だと塩尻北で降りたわけですけれども。ちょうど私が、前にもこの会では無いんですが、お話を承った時にも、ちょうど皆さん美味しいお昼を召し上がった後の一番気持ちの良いすやすやと眠りにつく時間帯でして、私の声がひょっとしたら、いい子守歌になるかもしれませんので、皆さん日頃大変ご苦労されていらっしゃいますので、どうぞゆっくりとお休みになりながらお聞き下さい。

 まず、私共の知的障害者福祉工場という事業ですけれども、なかなか耳なれない見慣れないものではないかと思うんですが、社会福祉法人が運営しております。知的に障害のある方の働く場です。雇用の場です。−般的な社会福祉の施設というのは、授産施設ですとか、更生施設あるいは共同作業所といった所がございますけれども、そちらは、措置ですね。福祉事務所さんがAさんあなたはこの施設を利用しなさい。と、Bさんあなたはこの施設に入所しなさい。というような形で措置をされているわけです。私共は、皆さん方企業と同じように、職業安定所の障害者窓口を通じての雇用となっています。建物は厚生行政、今は厚生労働省ですけれども、私達が建設した時には厚生省と労働省が分かれおりまして、厚生省からの四分の三の補助金による建設です。機械設備におきましては、厚生省が描いている福祉工場、工場というものをどんな絵空を描かれたのかなと思うんですけれども、機械設備の上限が1500万の補助金です。1500万の補助金でどんな機械設備、授産施設が整えられるのかな−なんて、どんな風に頭を悩ましても、整えられる訳がございませんでして、でこちらの日障協さんから5000万の機械設備に対する助成金を頂きまして、あとは借金。借金をかかえて建設いたしました。で、日常的な、皆さん企業で働いていらっしゃる方ですので、経営的な部分とかお金の部分もちょっとお聞きになりたいかなと思うんで、あまりこういう話は外に出てお話をしないんですけれども、今日は特別サービスで、お話させて頂きますが、日常的な部分では労働行政じゃなくて、厚生行政さんから、運営費の補助金として年間2600万、いただけます。それと雇用開発協会さんにお願いして、申請を起こして報奨金、うちの場合は、およそ年間560万頂いております。あとは特定求職者雇用開発助成金これは皆さんの所も頂いてらっしゃるかと思うんですけれども、これは全てうちの福祉工場でも該当して頂ける公的なお金です。あと社会福祉法人ですので、法人税がかからないという特典がございます。あまりお金も事ばかり言ってると、何かせこいような感じもしますので、この辺にしておきますけれども。私共社会福祉法人廣望会を立ち上げましたのは、一企業でございます。一企業が社会福祉法人を立ち上げて、知的障害者の福祉工場を運営するというのは、長野県下においては初めてで、今でも、うち一件だけです。なぜ一企業が法人を立ち上げて、知的障害者の福祉工場を運営しているのかという部分なんですけれども、ご存じの方はご存じだと思いますが、長野リネンサプライという企業が長野市にございまして、そちらでは、重度障害者多数雇用事業所という事から、労働省から助成金を頂いて、機械設備あるいは建物建設、社員寮建設等をさせて頂いて、今現在従業員さん何名いらっしゃるんでしょう、私はもう長野リネンを首になって早四年位になりますので、ちょっと今の現員は分からないんですが百二十名位いらっしゃいますかね。そのうち四十名の方が障害のある方です。そのうち私の知っている限りの情報ですと、三十六名の方が知的に障害のある社員の皆さんです。全国的にも私共のようのこのクリーニング業は、知的に障害のある方にとって、大変あっている職場だというふうに言われています。ですので同業のお仲間の工場さんで、大変知的に障害のある方を雇用されている所が多いです。で私共が県の障害福祉課さんに、是非福祉工場を建設したいんだとお話に行きました所、障害福祉課さんは待っていましたとばかりにですね、厚生省がどうも労働省側で障害者を多数雇用している所で、クリーニング工場が多いようだと。だから各都道府県においては、クリーニング工場に目をっけて見なさいという、厚生省からのお話がちょうど来ていた所だったんですね。そこへ私達が行ったものですから、よく来ましたと言うばかりに、大変応援をして頂きまして、無事に建設された訳です。無事にといっても長い足取りが実はあった訳なんですけれども、ちょうど私達が建設を進めていた時に、埼玉県の方であやグループさんがうんぬんという事で、いろいろと問題が発生しまして、私共の所にもしわ寄せが来まして、今までであれば必要の無かった書類をわざわざ作って書類を提出したりとか、一度は駄目だって断られました。どうして県が、県知事さんがこの福祉工場を建設を許可して、国にあげたものを国がだめだというんだという事で、県と共にですね、非常に怒り心頭に達した訳なんですけども、その後各都道府県でやはりかなりの事業が駄目になって、皆さん厚生省の方に押しかけまして、でやっとこさっとこニヶ年計画という事で、二ヶ年の補助金を付けての許可という事になりまして、平成十年の八月一日に戸倉町にオープンいたしました。その長野リネンサプライにおいて、それだけ多くの障害ある方を雇用させて頂いておりましたので、そうしますとやはりあの、ハローワークさんからとか、養護学校さんから、この子も是非雇用して下さい。長野リネンさんで雇用して下さいと、次から次へと手を取り合ってというか、お越し頂けるんですね。知的に障害のある万が一生懸命なんです。目をまっすぐに向けられて、皆さんも本当にすみません、何かそんなに真剣に見てて頂けると何か恥ずかしくなっちゃうんですけども、皆さんのその日のごとく一生懸命こちらを向いて、ここで働きたいんです。よろしくお願いします。働かせて下さいと、一生懸命言ってくるんですね。でもちょっと企業としては、雇用するには難しいかな、ちょっとハンディかな。仕事をする能力はあるんだけれども、対人関係の不適応ですとかね、それから体が若干弱い部分ですとか、そういった所でちょっと難しいかなって思われる方々も多くお越しになられました。でもここで、さよなら駄目だよ、つて断ることが、とってもいい人なもんですから、辛くて、次何か展開できないかなっていう事で、長野リネンサプライの社長と考えて、福祉法人を立ちあげて、福祉工場をやろうじゃないかと、強いては、その働いてくれている皆さんのその後の生活の場の提供、そういった所まで発展して、一歩前に福祉を進めようではないかという事で、企業が法人を立ちあげて福祉工場を運営するという、流れになりました。知的障害者福祉工場って皆さんも聞きなれないと思うんですけれども、まさしく労働行政と厚生行政との合築型のとっても素敵な事業だとわたしは惚れ込んでいるんですね。惚れ込んでいるんですけれども、合築型であるという所のあいまいさから、どうも労働行政にも認められない、厚生行政にも認められない、というような、何かそういうちょっとかやの外みたいな所も若干あるんですね。でも、この度ですね、十月にこちらの長野県雇用開発協会長賞という賞を障害者を雇用している優良事業所という事で頂きました。おめでとうございます。大変私達にとりましては、嬉しい事でして、認められた実績、今まで泣いたり笑ったり色々な事がありながらやってきた事が認められたという喜びは本当にひとしおでして、その表彰状を受け取る瞬間というのは、カチコチしていまして、足も右足出そうか左足出そうかなんて悩みながら出していた状況でしたけれども、表彰状を頂いて、帰りの車の中で本当に感慨深いものが胸にあふれて来て、こう涙が頬をったわるところまではいかなかったですけども、本当にうるうるときました。色々あったなあ一つてひとこと言うと、色々あった事がぶわ一つと出てきてしまって、今も色々あったっていっただけで、何かこう気持ちが一人の中で盛り上がってきてしまうんです。知的障害者の福祉工場という事業自体が全国でもまだ43件です。比較的新しい事業ですし、なかなか伸びていきません。伸びていかないのには、色々な諸事情があるんだと思います。まあ経営的な難しさ、運営の難しさ、そういった所を私達がどんどん声に出していって、もっと多くの皆さんがやりやすい福祉工場というものが制度化されていくように努力していかなければいけないなと思っておりますけれども。何分にも私達が始めようとした時には、県の障害福祉課さんも「訳が解らない」、「福祉工場って何」、「解らないよ」というような所で一緒に勉強して頂いて一緒にやってきました。ちょっと長々とお話いたしましたけれども、皆さんのお手元にございますでしょうか、施設案内。今その施設案内の所の一部をお話させて頂きました。すみません、これコピーという安い手段を使っての印刷物ですけれども、この中に書いてある通りですが、知的障害者の福祉工場というのは、雇用レベルにありながら雇用されないでいる知的に障害者のある方々に職場を、そして共に働き共に社会生活を楽しんでいきたいという目的で、地域の要望も取り入れて創設されました。知的障害のある方々でも、作業種によっては残存能力を発揮して、作業適用と社会適用が出来、人生がエンジョイできれば福祉工場の目的が達成されるという事です。やっている事業内容はクリーニング工房CoCoという名の通り、クリーニングのお仕事です。戸倉上山田温泉という老舗の温泉街、千曲川の一番きれいな情景を見れる所が戸倉上山田だと言われておりますがいかがでしょうか。皆さん方もお越しになられた事、一回や二回、四回や五回はございますでしょうか。この頃ちょっと景気があまり良くございませんで、観光バスが連なって旅館街を入って来るという姿が本当に見えなくて、残念な思いをしております。正直申しまして私共のクリーニングの仕事もですね、そんな現況下の中でホテル旅館さんがお客様への宿泊料金をダウンして、それでお客さんどうぞお越し下さいというふうに手を広げていらっしゃいます。と同時に私共の業者の下請け単価も正直言って5%ダウン10%ダウンという状況が、今年の夏頃から現実的に出て参りました。そういう意味では本当に21世紀始まった所で、何だかあまり明るいニュースがなくて、失業率5.3%だの、何か嫌なというか、今我慢していなければいけない時なのかなと思うんですが。そんな話をするのではなくて、もっと希望のあるクリーニング工房CoCoの綿貫さんらしい話をしに来いということで、私をご指名頂いたんだと思いますので、暗い話いっぱいあるんですが、暗い話はさて置いて、色々なうちの社員さん達のユニークな個性的な話ですとかをご紹介させて頂きたいと思います。

 現在ですね、知的に障害のある社員の皆さん二十名いらっしゃいます。そのうちの十四名の方が重度、職業センターさんの判定で重度の扱いの方です。障害の無い方をうちは職員と呼んでおりますが、職員が九名、施設長それから栄養士も含んで九名です。障害者の雇用率が、私、計算あっているんでしょうか、117%という状況です。この中で、一日の洗濯量ですね、ちょっと描きずらいかと思うんですが、一日の洗濯量はおよそ八トンの洗濯をこなしています。年間のクリーニングの売上高はおよそ一億です。今年度は若干落ちるかなっていうような状況ですけれども。十九歳から四十三歳までの方がいらっしゃいます。男性が十四名、女性が六名です。私が女性だからといって男性を多く好んで雇用した訳ではないんですが、たまたまそんな状況になりました。平均年齢二十三歳ですね、平成十年の八月にオープンいたしましたので、その年の春に高等部を卒業された皆さんがメインで働いて下さっておりますので、大変若い工場です。キャピキャピとしております。障害程度と書きましたが、これは療育手帳です。皆さんこの障害者雇用ガイドブック、昨日から今日にかけてちょっとお開きになられましたか。開かれました?これとっても良く出来ていて、私も自分の中で教科書代わりに使わせて頂いています。毎年下さいとお願いして頂いているんですけども、とても簡潔によく出来ています。ページ226ページをお開き下さい。ちょっとね、こう附せんを入れるとか、ちょっとアンダーラインを引いておくとか、あっ研修して釆ましたよなんて、証しになるかなと思うんですけれども、どうぞ証しをお作り下さい。

 ここに第5節として知的障害者と書いてございます。どうぞご覧下さい。ずうっと数ページに渡ってございます。その中で229ページの上の所に療育手帳の判定基準例と書いてございますが、身体に障害のある方は身体障害者手帳をお持ちですね。1級2級の方が重度という。知的に障害のある方の場合は療育手帳というものを持っております。ここにA1、A2、B1、B2というふうに別れております。A1が最重度、B2が軽度という事、ただうちの工場の場合には療育手帳のA1の方が一名、B1の方が十三名、B2の方が五名いらっしゃいます。あってますかね−。うちの職員も来ているんで、あってますよね。それで、その内ダウン症の方、染色体異常のダウン症の万が一名、自閉症の方が二名いっらっしゃいます。皆さんの事業所さんでも、知的に障害のある方を雇用していらっしゃる事業所さん、どの位いらっしゃいますか。(手を上げてください。)どうもありがとうございます。多くの事業所さんで雇用して頂いていてありがたいと思いますが、いかがでしょうか。B1の方がメインでしょうかね。私共このIQによる判定ですね。A1、A2、B1、B2この療育手帳による能力判定というか、これは決して就労をする為の、その能力判定とはイコールではないとこれは皆さんが昔からおっしゃっておりますけれども、誠にその通りだと思います。私達の所の工場では、B1の方が、長野リネンサプライの時もそうでしたが、B1の万が一番働いて頂いていて心地良いかな−と思います。B2の方の場合は、非常に難しい部分があります。仕事は出来ますよ、仕事は出来るんですけれども、社会生活の部分でちょっと失敗しやすい。一つの例で言いますと、私が長野リネンサプライで仕事をしていた時なんですけれども、一生懸命勉強して車の免許も取ったんですよね、車の免許も取りました。で、車も買いました。借金をして。で、その方の場合は三ヵ月パターンで必ず事故を起こすんです。三ヵ月、必ず三ヵ月なんですね。それで、私が長野リネンサプライに就職した当時は、三歳の子供と十ヵ月の子供をかかえての再就職だったんですけれども、その十ヵ月の赤ちゃんはまだ夜ね、おっぱいを飲んで寝かせたりとかしているような状況だったんですが、真夜中でも何でも、とにかく私の所に電話が入るんですね。「何々警察ですが、お宅の所にこういう社員さん働いてらっしゃいますか。」「あっ、おります。」「事故りました。」それが三ヵ月おきにありました。それが不思議なんですけれども、彼の得意技なのかどうなのか、すべて自損、すべて自損で無傷、不思議なんですよ。すべて自損で無傷なんですね。それで病院へ運ばれてもかすり傷程度で帰して頂けるんですけれども、その代わり車は壊れました。そうこうしているうちに、今、車で流しというのがございます。若い方、流しに行って、若い女性に声を掛けて、付き合いを始めるという、近ごろはひょっとして逆ですかね。女性が男性を。まっいいか。

 そんなふうに夜遊ぶようになりましてね、ある若い女性と出会いがあって、その女性のアパートにずっと一緒に生活するようになってしまって、仕事にろくに出てこなくなって、そのうちに「俺はもっと金が欲しいんだ」という事で、「ガソリンスタンドに勤めるから」って、かなり引き止めたんですよ。そんな事言っても、そんなに婆婆は甘くないよと言いながら引き止めたんですけれども、辞めてしまって、それでガソリンスタンドにちょっと行った。そのうち彼女に放っぽり出されちゃったですね。どうしたんでしょうか、金の切れ目だったんでしょうかね−。別れちゃった。そしたらもう気持ちが弱い子なもんですから、どんどん落ちていっちゃう。ガソリンスタンドもすぐもう辞めて。B2の方というのは自分の能力というものがはっきりわからないままに情報だけは非常にこう入ってくる。現代社会ですから特にそうですよね。その中でこう社会生活部分にちょっと失敗が起きやすくなってしまう。それから他所が良く見えてしまうというか、知らないんですよ。知らないんだけど情報が入って来るから他所が良く見えちゃうんですよね。で離就職するという事が結構あるんじゃないかなって気がします。一つの例ですけれどもね。
 続いて採用に際して、という事ですが、この教科書はどうぞ是非又ご覧になっておいて下さい。適所な所にこう赤線を引いたり附せんをっけたりして、どうぞ復命書としてご提出下さい。採用に際してですが、私達は実習を必ずして頂きます。実習をしない直接採用というものは一切致しません。知的に障害のある方は先程ちょっとIQでは判断できないとお話し致しましたけれども、見た目判断は本当に出来ません。今まで他の事業所さんで、五年十年頑張って勤務してきました。ただこの不況下でちょっとリストラにあってしまった方です。だからクリーニング工房CoCoさん、この人は実習は必要ないですよ。充分社会生活も出来るし、採用して下さい。いいですよ、というんで薦められる、でもうちは必ず実習をして頂くんですけども、うちへ来てもらって実習をして頂く。そうすると、職種が違う訳ですから、そちらの職種では合っていたかもしれないけれども、うちの職種では合わないという事も勿論ございますし、ぱっと見た目、本当に障害どこにあるのかなという方もいらっしゃるんですね。障害どこにあるんだろうと思うんですけれども実際仕事をやってみたら、言うことも言うし、書くことも書く、漢字なんか私よりも知ってますからね、そういう方が実際にじゃあ仕事はどうかといったら、できないんですよ。まあ例えばシーツの縦と横すら分からない、そういう方もいらっしゃいますし、継続できないという方もいらっしゃいますし、色々な個性的な方がいらっしゃる訳ですけれどもね、だから必ず実習をして頂く。私達が「あっ、あなたとっても素敵、素敵というかうちの工場で一生懸命実習をしてくれて、あなたのような方CoCoに欲しいよね。」と言っても相手がやだって言っちゃえばそれで終わりですね。やっぱり相手の方とうちの事業所側とのちょうどこう一致した部分が無ければ、採用にはちょ?と難しいかなと思います。よくあるんですけれども、うちでも今四十三歳になる方で、その方はやはりずうっと長い事、他の事業所さんでお勤めになられていて、リストラというかこの現況下で職を失ってしまった。お母さんと一緒に来られましてね、うちの息子は結婚もして嫁さんももらった。分家に出して家を建ててそこで生活していると。立派な社会人ですよね。立派な社会人なんです。けれども面接してお話をしていて、かあちゃん一人でしゃべっているんですよ。私みたいなかあちゃんなのかな、一人でしゃべっていて、うちの息子はこ−こ−こ−で、こ−いういい所があって、こ−こ−こ−だ。と。それでここの工場の仕事はとても息子にあっていると思うから、是非ここを頼みますよと。実習やりながらうちへ帰ってきてもね、なかなかいい仲間がいるし、やりたいという意欲を見せているから、是非ここで採用してもらいたい。こういう所がいいな、いいなと言うんです。けれど本人何もしゃべってくれないんですよね。だから、「まあまあかあちゃん、ちょっと黙っていてくんない」「ちょっと本人の話聞かせてくんないかいや」って、あっごめんなさい、つい話に乗ってきちゃうと言葉悪くなっちゃって、申し訳ないんですけども。本人の方に向いて、どうですか、ここで就職しますか、どうしますか。だから私達はどんなハンディのある方でも、ご本人さんからここで就職したいです、一緒にやらせて下さい。お願いします。という言葉を聞かなければ採用は決していたしません。全員そうです。まわりの方が、学校の先生とか職安さんとかいろんな支援者の方々がついてこられて、いいよいいよいいよいいよって言ってくださっても、本人がう−んと言ったら採用はいたしません。できないです。やっぱり無理のある採用というのは、何処かでちょっと詰まってしまうかなって、その詰まってしまった時にお互いが傷っいてしまう、と思っていますので、本人の意思の確認をきちんとしてから採用する。実習を必ずして頂く、本人の意思の確認をして頂く、その時に保護者の方にも是非事業所の見学にお越し頂いて、保護者の方の観察もどうぞしてみて下さい。今は人権という事が叫ばれておりますし、私達福祉の社会の中で人権擁護、苦情処理というような事が言われております。誠にその通りですが、でも保護者の方の個性も見て頂いていた方が、後々いいんじゃないかなと。事業所側としてみれば、必要なことではないかなと思います。私達も全くバック背景を知らずに採用させて頂いた方々が何人もいまして、後から知るんですね。先生こういう事もっと先に言っといて下さっても良かったじゃないですか。先に言っておいて頂けたら、それを承知の上での支援をしていきますよ、という様な事が結構ありました。それは、事業所側さんと例えば学校の先生あるいはハローワークの方、あるいは職業センターの担当の方とコミュニケーションをとって頂いて、色々細かい所までお話ができる人間関係を、まず皆さん方が作って頂いて、話を引き出すという事も、大事なことではないかなと思います。それと、具体的な所で、よくこの頃こういうノウハウブックなんかで、こんな時はどうするQ&Aとかございますけれども、私が今までちょっとやってきている中で、若干経験させて頂いたちょっと具体的な日常的な所でのお話をさせて頂きます。皆さん方も多分ご経験あるのではないかと思うんですが、何回言ったら解るの?と言うんですよね。現場の職員の皆さん方から、まったく、綿貰さん、何回言ったらこの子解るんかねって。もう朝からね、今日これで何回目でしょうか。私も一緒です。その職員さんでなくても私が言っても、何回言っても同じ事の繰り返しをしているわけなんですけれども。何回言ったら解るんでしょうか。もう本当に何回言っても解らないんだから、どうして出来ないのよ、つていうふうに言いがちなんですけれども、これが一つの障害です。障害ですので、何回言ったら解るのを、毎日毎日365日は勤務していないかと、え−つと何日皆さんの所は勤務でしょうかね。毎日毎日365日を三年間とにかく続けてやってみて下さいと、お話しています。三年間、あわてないあわてない、一休み一休みちていう一体さんという番組。夕方になるとあわてないあわてない、一休み一休みというのを子供と一緒に見ておりましたけれども、あの位のゆとりをもってですね、待ちの姿勢を持ちながら、365日を三年間まず繰り返してみて下さい。後はですね、何回言ってもこの子出来ないんだよっていう中で、じゃその時にこの子の解るように言っているだろうかと、自分の指導方法の見直しをして下さい。それからこの子の声を聞いて下さい。YESマンにだまされるなとよく、これも私達の合言葉。YESマンにだまされるな。とにかく多いですね、YESマンの方、知的に障害のある方は。解っても解らなくても「はいっ」「はいっ、今日一日頑張りました。」「上手に出来ました」っていう。とにかく「はいっ解りました。」何でもはいっと返事をしてしまう。YESマンの方。でも実際どうなのかなあというと、はい、解りました。とってもいい返事を返してくれるから解ってるんだなあと思ってしまうと、ころがどっこい、全く解ってなかった。返事だけだった。そういう事が非常に多いわけなんですけれども。その時に本人の口から言わせてみるとかね。具体的に指示を出す。まず、そのはいわかりましたって言った時に本人の目を見て、本人の言葉として、私がじゃあ今こうやってって言ったのを口で言ってごらん。何ていったのかな。「わかんないよ」って答えが返ってくるかと思うんですけれども。そうした時には本人がわかるようにきちんと具体的に説明してあげる。作業指示はより具体的に。よくあるんですけども、ははははうそこのあれ取ってさあ、こっちのあの−、あっちの方へ持って行って、あっちのそっちの方にカゴあるからそこにきれいに下から順番に段々積んで一杯になったらあっち持っていってくれや。つてついっいそんなふうに言っちゃうんですけれどもね、これ解らないです。はい解りましたって言うけれどもそこで立っていますよ。わからないですね。そうじゃなくて自分がまずやってみせる、ねっ、これは本ですよ。と。持って教えてあげる。ページを開く時はどう開くんですか、こうやって開いてごらん。まず自分がやって見せて、それで本人さんにやらせてみて、それで理解したかどうかを確認を取りながら一つ一つ、二つ以上はちょっと難しいかもしれないです。私もこの頃二つ言われるとちょっとわからないですけれども。すみません。そうですね、より具体的に、そして多くのことを一度に言わない。一つ一つ解ったかどうかを確認をして次に進んでいただく。その時に本人の目を見ながら、行動をきちんと観察しながらやって下さい。それでね、具体的に一つ一つ教え込んだ、あっ出来たな、よかったな。−だからと言って明日出来るかどうかはわかりませんが。その繰り返しです。とにかくその反復です。繰り返しをしていく中で、必ず出来るようになります。必ず皆さん方の事業所の戦力となって、なくてはならない存在になって参ります。
 それと、よく聞かれる事は、男性の方でも女性の方でもそうなんですけれども、知的に障害のある社員の方々に、“我が子のつもりで,言いました。“我が子のつもりで,毎日接しさせて頂いております。とっても有り難い事だと思います。それだけ愛情を持ってですね、育んで、この子を育てて下さるという事は非常に有り難い。けれども、時としてそうではない。“我が子のつもりで’って、この方はおっしゃっているけれども、相手の知的に障害のある社員さんはそうは思ってはいない、という事は結構あります。一人のケースも。その方は女性の方でしたけれども28歳くらいの女性でした。こちらの女性の方は52、3歳位、ちょっとわからない。化粧をきれいにしてらっしゃった方だから若く見えたけど、55歳位になっていらしたんですかね。でその方との終みですけれどもね、この方は我が子のつもりで私はこんなに一生懸命言ってやっているんだよ。じゃあ、障害のあるこの方が何て言っているかといったら、お母さんだなんて全く思っていない訳ですよ。お母さんじゃないもん、私には違う本当のお母さんがいますもん。お母さんだなんて思えないですよ。ここは職場ですよね。職場の中における先輩、あるいは上司、という一線を引いた関係を彼らはちゃんと持ってるんですよ。その中で、この方がいくら我が子のごとく注意指導してるんだと言っても、受け入れる訳がない。それにその我が子のごとくと言うけれども、じゃああなたはご自分の成人になったお子さんに対して、同じ言い方をしていますか。していないでしょう。と思うんですね、もう二十八歳まあ三十歳とか、成人の方に対して、まあよく使われる言葉っていうか、“子供達,,っていうふうにおっしゃるんですよね。それを前の職場の所でも改善しようとお話をさせて頂いてきましたけれども、“子供達”全くもうこの“子供達’’は、困ったもんだって表現するんですよね。二十歳を過ぎた成人の方々にうちの子供達はっていうふうに言わないでほしいな。やはり成人として一人の社員として認めて下さい。本人達はその意気込みでやっておりますからね。

 日常的な生活の中では、ついっい錯覚を起こしちゃうんです。うちにいる時、うちの子供に対してがみがみがみがみ言っている自分があって、それでこの現場に来て、それで現場の中でぐちゅぐちゅぐちゅぐちゅ言われてくると、ふと母ちゃんになっちゃうんですよね。で会話の中でお母さんはね、つて言っている自分にはっと気が付いて、「あっごめんりでという、暖かい愛情深い育むという気持ちの中での表現は結構ですが、そうではない差別的な成人のこの子に対して子供達と呼んでしまうような、そういった対応というものはよろしくない。あくまで職場における一線を引いた関係であって下さいという事です。


 今そのように申し上げましたけれども、基本的には良き理解者であって下さい。あなたを丸ごと受け止めますよ。あなたの味方です。今まで知的に障害のある方は、育ってくる過程の中において、環境の中で、色々なトラウマを持って育って参ります。話を聞けば本当に、あ−こんな色々辛い思いをして来たんだな。特に就労レベルにある方々の場合は、前に『学校2』という映画がございましたけれども、山田洋次監督の、ご覧になられた方いらっしゃいます?学校2という映画、養護学校を背景にした、人情味あふれる映画なんですけれども。あそこで北海道のクリーニング工場が出てきましてね、そこがその養護学校の主役の生徒さんの実習の場でして、非常に薄暗い所でガミガミガミガミやっている、すごくいじわるな事業所として映画化されたんで、あまり好きじゃないんですけれども。山田洋次監督にお手紙でも出して、今度クリーニング工場で一生懸命働いて、明るく元気でいる社員さん達を映画化して下さいなんてお願いしようかなあなんて思っちゃったりするぐらいなんですけれど。あの中で軽度の知的に障害のある方のセリフなんですけれども、重度の障害のお友達がいるんですよね。「あの子は自分がばかだっていう事を解っていないんだよね」って。「僕は自分がばかだっていう事が解るんだ」って。「だから辛いんだ。」色々注意指導を受ける。受けることはわかるんだ。だけれども僕に出来ないという事も、僕は解っているから辛いんだ。というセリフがあるんですね。就労レベルにある方々は、そういう事を考える事の出来る方々が、メインじゃないなかと思うんです。そういった所で育ってくる中で、非常に色々な心の傷をおっています。たとえ親子関係であれどもなかなか親に、お母さんに自分を受け入れてもらえない。そんな中で辛い思いを今でも引きづっている、そんな方もいらっしゃいます。その時に、職場の、直接的にこの子と関わって下さっている皆さん方が、あなたの味方ですよ、何でも言っておいで、あなたの味方なんだよ、という姿勢をまず作って頂く。そこで人間関係をこさえて頂く。人間関係が出来れば、同じ注意をする言葉でも、その子の心に入っていく。その人間関係が出来上がっていない所で、私はあなたの親の如くあなたをこういうふうに注意するんだよって言っても、相手はやっぱり受け入れてくれない。悲しい思いをしてしまう。辛い思いをしてしまう。それで終わっちゃう。この子を育むといった愛情と、あなたと一緒にここで、あなたを戦力として育ててあげたいし、一緒に仕事をして行きたいんだよっていう、精一杯なその熱意というんですかね、そういったものが皆さん方の中にあれば、必ずこの子はついて来てくれる、成長致します。そういう事を語っていますと、私はまあ女ですので、母性なんですね。本当に色々言っている事の矛盾があるかと思うんですけれども、親御さんを早く亡くされている知的に障害のある方ですとか、親御さんからある意味で突き放されてらっしゃる知的に障害のある方とか、こう愛情を非常にほしがっている方なんか、前職の時もそうでしたけれども、今でも思いっきり抱き縮めちゃうんですね。思いっきり抱き締めてやると、もうポロポロポロポロ泣きながらも、本当に伝えてきてくれる。その後、さあ、頑張るかなって感じで、一緒に立ち上がろうとするんですけれどもね。

 そして支援者側。弘達、皆さん方ですよね。知的に障害のある方を支援していく側、私達のセルフケアーというか心のケアーもとっても大事だと思います。ゆとりをもってないというか、キチキチしていますと、やっぱりいい関係は保てない。その時に一つ、これは私も教えて頂いて自分がすごく心が楽になったものなんですが、障害は障害として認める、という事です。この子のこれは障害なんだと認めてあげる。そうすると私も楽になります。とにかく、十数年、十五、六年でしたね、十五、六年同じ職場で仕事をやっていても出来ない。出来ない事を毎日毎日十五年経っても、今でも、いやこの子は必ず出来るはずだ。必ず出来るはずなんだから、出来ないのは私の指導の在り方がいけないからなんだ。それとこの子の努力が足りないからなんだ。と毎日毎日十五年経ってもまだまだ繰り返しをしている。とてもとても自分の精神ももたないですよね。それと共に、ある意味ではこの子にとってはいじめになります。出来ないんですから、これが障害なんですよ。これは障害なのにそれについてどうしてなんだ、どうしてなんだって突き詰められる事はこれはいじめなってしまいます。だからこれはこの子の障害なんだと認めてあげる、という事も私達支援者側も楽が出来る一つではないかなと思います。そしてどこから進めていくかと言ったら、もう本当に皆さん方実践していらっしゃる通り、出来る所、いい所を見つけたらめちゃくちゃ褒めてやる。もう私なんか、現場に入るとうるさいと言われますけれどもね、非常に大げさな表現をしてしまうものですから、ちょっとレベルの高いお兄様方には、こんな目で見られますけれども、「出来る、出来るじゃない。すごいね−」なんて。いっもこう拍手をしてしまったりとか、「すごいな−」なんていうふうに、大きな声で騒いでいるものですからうるさいんですけれどもね。とにかく褒めると育ちますね。ちょっとした事も褒めてやる。「できたね−。できるじゃない。はら−、ね−、だめだ−なんてこの間言ってたけど、どうして出来ないんかなあなんて言ってたけれども、今一つ一つやったら出来たじゃない。出来るよ−。」ちょっと失敗しててもね。「できるよ−、はらできたね。そしたらね、これが今度出来たから、今度もうちょっと横にこうやって引っ張ってやったらもっときれいに出来るよ−。出来るかな−、どうかな−。ほらで来た。すごいね−。」っていうふうに、出来る所のちょっとした所から、どんどん広げていって認めてあげて褒めてあげて育ててあげる。その時に伸びていく本人の喜びと、それと伸びたという私の喜びがある。支援者側私にとってはとっても嬉しい部分で、やってて良かったという、明日につながる部分になるんじゃないかなと思います。

 それとですね、うちの社員さん達三年三か月、一番古い人は勤めてくれていますけれども、そうして認められる、自分は働いているんだ。給料ももらっているんだ。で僕が、私が、ここにいなければ工場は回ってかないんだ、なんていう事を言います。で責任感を持たされる、あなたはここのポジションを責任を持ってやって下さいよ。うちは一人一人決められた固定の配置がございますので、皆さん方の事業所でもそうだと思うんですけれども、あれややって下さい。これもやって下さいっていうのはちょっとやはり苦手な部分です。この場におけるプロフェッショナルになって下さい。この仕事におけるプロフェッショナルになって下さい。ですからうちの社員さんの場合には、タオルをたたむ事しか出来ない方がいらっしゃいます。数を数える事も出来なければ、そうですね、そのプラスアルファーの融通のきく仕事は出来ません。でもフェイスタオルを、ちょっと背が低いもんですからね、バスタオルはこうやって伸ばさなければいけないんで、ちょっと手間なんですけれども、でも上手にやりますけれども、フェイスタオルをたたませたら俺にまかせろっていう社員もおります。ダウン症の方なんですけれども、もうおどるごときの手つきですね。とっても素晴らしく、私いっも見学者の方が見えると、ちょっとせたんで見せて頂戴って、これがプロ技ですよなんていうようにお話していますけれどもね。あなたがここに必要だから雇用したんですよ。あなたはここに必要なんです。あなたがここにいないと周りの人はどれだけ迷惑になるかな、周りの人の気持ちも考えながら、責任のある仕事をやっていきましょうよ。というふうに進めています。そうすると、働く喜び、責任感、生きがいというものがでて来ます。この頃おもしろかったのは、養護学校さんの職場体験実習の時期なんですよ。北信というか戸倉近辺では。で実習生を受け入れるんですけれどもね、おもしろいですね。共育ちなんですけれども。CoCoではある養護学校さんの卒業生がいっぱい働いているんですが、私がその養護学校さんに行って、働くっていう事はどういう事かってお話してくるんだけれども、卒業生の皆さん、何か言ってきてもらいたい事あるかな?って言ったら、ある彼がですね「まあとにかくここへ来てやってみる事だね。」って言うんですよ。かっこいいね−なんて、「ここへ来てやってみてくれ、俺が教えてやるから」、「俺が教えてやるよ、僕の後輩を。」って言ってくれて、もう本当に冥利につきました、私もね。あ−ここまで育ったんだなあなんてふうに思っております。

 それと一人ひとり個性的であれと。色々なそのマニュアル本、Q&A困った時どうするQ&Aですけれども、一人ひとり非常に個性的です。目に見えない障害であるがゆえに又個性的です。ですから、皆さん方どうぞ、知的障害者とは何たるぞという大筋はこういった本をご覧いただいて、それで一人ひとり皆さん方の事業所におけるAさん、Bさん、Cさん何がしのケースマニュアルをお作り下さい。記録は役立ちます。ちょっとうちの職員の方、耳が痛いかなと思いますが。記録は役立ちます。必ず将来的にも役立ちますので、一人ひとりのケースのマニュアル作り、こんな時困ったQ&Aこの人にとってはこうしたらこうだったという物を、どんどん、どうぞお作り頂いて、その職場の財産として頂けたらなと思います。

 それと、セイコーエプソンさん、昨日ご見学、皆さんされたんですよね。とっても素敵な工場で皆さん方の支援の態勢が本当によく行き届いていて、ぬくもりのある工場で、皆さんがとても生き生きとお仕事していらっしゃったと思うんですけれども。私も何回かお邪魔させて頂きましたけれども、そのセイコーエプソンさんの所でもお話がございましたが、保護者の在り方ですね、保護者の支援なくしては、この健全なこの子の就労生活というのは難しいですね。私達の所では、企業の時もそうでしたが、保護者会というものを作っております。その保護者会の中で、みんなで知的に障害のある方の小遣い管理はいかにせよとか、将来的な支援はどうしていこうかとか、社会人としての自立とは何ぞや、マナーとは何ぞや、うちの子には無理ですよって言わないで、一緒に一つひとっ進めていきましょうよという勉強会等もやらせて頂いています。

 それと一人ひとり連絡ノートを持って頂いて、その連絡ノートによってご家庭とのつなぎをしたり、しゃべる事のとっても得意な人もいっぱいいますが、とっても苦手な社員さんもおりますので、そういった方は書いて自分の気持ちを表して頂く、というよな事もしております。それと、生活面のケアですね。余暇ですとか休の日の過ごし方、企業がここまでどうして、というふうに思う部分もあるんですけれども、でも一緒に仕事していますとやはりそこまで情が入ってきますので、この子のそういった部分も気になるというのが、皆さん方の本当のお気持ちではないかと思うんですけれども。うちの工場の場合は非常に行事は多いです。その行事の時に、うちの社員さん達、二十歳を過ぎれば必ずグラスをこう差し出して、二十歳になりましたからビールを飲みますって言うんですね。別に私が酒が好きだから、それを指導しているという訳ではないんですけれども。何だか二十歳を過ぎるとビールが飲めるようになりましたから、ビール飲みますってグラス出すんです。お酌の仕方から宴会の進め方、そんな所まで皆さんと一緒に楽しくやらせて頂いています。先日プロ野球が長野の会場に長野オリンピックスタジアムに来た時に、私プロ野球見に行った事なかったので、うちの社員さん達に、行かないかって声掛けたら、何人かが行きたいと言って手を挙げてくれて、一緒にプロ野球観戦に行きました。とってもいい天気で暑かったんですね、で一人の男性が、20何歳かな、僕ジュース買って来ますって言うから、あ一行っておいで、行ってらっしゃい。で行ったんですね。帰りにこう2つ何か持ってくるんですよ、それで私の方にど−ル、缶ビールコップ付きでこう持って来て、「僕のおごりです」って持って来るんですよ。で自分はコカコーラ。あ−、もう惚れ込んじゃいましてね、何ていい男なのかなあって本当に惚れちゃいました。別に特別な指導を加えている訳ではございませんが、そんなやさしい紳士的な社員のいるCoCoです。
 生活面の中では、今までの中でも、サラ金ですとか、例えばアートネーチャーさんって優良企業ですが、テレビの宣伝で気持ちいい事してあげるって言うあの一言に惚れ込んじゃって、アートネーチャーさんに行って何十万というお買い物をしてしまったという、髪の毛ふさふさしている子だったんですけれども、そういう事もありました。あと新興宗教さんですとか、色々な契約だとか、そういった物も書く事が出来る、出来てしまう。それからYESマンである。断ることが出来ない、それから人を求めている方が多いっていう事でそういったトラブル等も起き易いです。

 その時にはご家庭と手をつないで、やれば問題は解決します。私はきちんと相手方にご説明させて頂いてこういうふうに支援をしてるものでございますがというふうにお話させて頂いて、今までの中でしこりの残った所はまだございません。あと先程お話致しましたように、私達支援者側の心のケア、皆さん方はこれで職場に帰られまして、生活相談員という事でご活躍、今もご活躍されていらっしゃる方々と思いますが、その中で現場の中で、とにかくやっぱり一生懸命入り込めば、入り込むはど、どうしても璧があって当たり前ですから、そこでストレスを抱えてしまって、私はよくあることですが、深酒に入ってしまうとかね。難しくて当たり前です。一人の人間と相対する訳ですから、難しくて当たり前、時間かかって当たり前です。一人でどうぞ悩む事なくですね、カーツと騒いだりとか、野球やったりとか気分転換の場をお作りになられて、四六時中その事を一生懸命お考えになるのではなく、そこから出たら、工場から、会社から一歩外へ出たら、もう自分の時間として、それは忘れてしまって気分転換をして頂く。明日又向き合った時に、さっ今日はどうしようか、と考えて頂く。そんなふうに自分の心のセルフケアも大切になさって下さい。もしもこんな私でよろしければ、いっでもご相談等承ります。酒一杯なんて言われるとすぐ飛んで行きますので、いっでもお越し下さい。あるいはお電話等下さってもいっでもお受け致します。解る事だけですけれどもね。

 休憩を取って下さいというふうに言われておりますので、5分休憩を取らせて頂きます。


 そういった福祉の在り方が昔はあった。と思います。その中で弘達はここ、今自分が立っているここから始めていこうよ、ノーマライゼーション。障害のある人もない人も共に普通に生活をしていく、そんな社会を築きあげようよという意味で、クリーニング工房CoCoという名前がございます。で、ちょっと教科書をコーヒーー杯やりながら軽くお開き下さい。教科書に書いてあるノーマライゼーションですが、障害のある人もない人も一緒に暮らしていくのが普通な社会であって、弱者いわゆる障害のある人や子供、高齢者等を排除しようとする事や社会的強者だけを中心にした社会は歪んだ社会であるから、弱者をも包み込んだ豊かな社会を形成していこうではないか。という事です。これがノーマライゼーションの実践。その時にこのノーマライゼーションを実践していく中で、具体的にどうしていったらいいのか、という部分でインテグレーション。障害のある人達の暮らしを変えていく時に一番大きな障壁、壁となっているのは、社会の側、つまり障害のない人達の意識であると考えられます。要するにバリアフリーと言われますが、例えば階段の段差を無くしてスロープにする。これはバリアフリーですよね。で一番必要なバリアフリーは何かと言ったら、心のバリアフリーと今言われています。まさしくその通りで、皆んなが心の壁を取り除いたら、どんなに障害のある人や子供、あるいは高齢の方々が生活しやすくなるだろうか。相手の立場に立ったノーマライゼーション、障害のある方の立場に立ったノーマライゼーションです。私の目線から見たノーマライゼーションではない。障害そのものは教育訓練や補助異、後ろにも色々な器械がございますけれどもね。そういった物の開発等で軽減できる事があります。ただ差別、偏見、誤解、無知、無理解といった社会の側の様々な要素、こういった物を取り除いていかないと、心のバリアフリーができないと言う事です。人間はいっか障害を持ちます。誰でも、誰でもいっか障害を持っんです。今日拝見した中でも、メガネをかけてらっしゃる方が何人かいらっしゃいます。近視でしょうか。老眼でしょうか。私もそろそろちょっと目がかすんできまして、ちょっと困った事なんですけれども。目が良く見えないからメガネをかける、高齢になって足が悪くなってしまったから杖をっく。杖をっいても歩けなくなってしまったから、車いすに乗る。そういったように色々な補助異を使うことによって普通の生活をする事ができるわけです。で、その時に知的に障害のある方、この方々の場合はなかなか目に見えない障害ですね。でもちょっとした、先程から色々具体的なお話をして参りましたが、そうしたちょっとした支援があれば普通の暮らしが出来るんです。その時に一番やはり大切な部分というのは先程の社会の側の心のバリアフリーだと思います。知的に障害のある方は特別な人じゃないんですね。普通の人間です。皆さんと同じ普通の人間です。そこを認めて頂いて、障害のある方の目線に立ったノーマライゼーションをいうものを実践できる世の中作り、20世紀の中で無くしてきてしまった心と環境を取り戻すのが21世紀の時代。21世紀幕開けました。色々ございますけれども、この心と環境を取り戻すという中で、知的に障害のあるこの素敵な皆さん方の心、優しさですとか、たくましさだとか元気だとか、この頃癒し系なんて言葉よく聞きますけれども、そういった部分が必ずこの方々にございます。私は日々の如く、あ−あ何か疲れちゃったなって、理事長はこんな事言うしさ、現場じゃこうだしさなんて言うような事で、何かあ−あって溜息をっいてしまうような時、社員さん達が元気に階段クックックックッタッタッって上がって来て、「お早うございます。今日も一日頑張ります。」なんていうあの一言を聞くと、うっと思って「お早う、お願いね。」って本当に元気をもらっています。それと中には「今日も5時まで頑張ります。」「うん、はいよ。」えっ、5時まで頑張るという事は、今日は残業やだと言ってるんだなとかね。朝の一言で結構色々皆さんの今日の一日が見えるんです。そんなふうに皆さんから元気を頂いております。

 そんなクリーニング工房CoCoの素敵な社員の皆のマイドリームを描きながらと、最後でございますけれども、知的に障害のあるこの方々の目線から物事を色々見てきただろうかという自分に対する反省もございまして、この子らから夢や希望を聞いてきただろうか。あなたはどう生きたいんですか、今何をしたいのか、つていう事を聞いた事があっただろうか。つていう自分の中の疑問をちょっと抱いてしまったんですね。以前に私、入所更生施設という入所施設に勤務していた経験もありますので、その時もちょっと今の反省の部分がありまして、そんな事を考えました。

 そこでクリーニング工房CoCoの社員の皆さんには、『マイ・ドリーム』自分の夢、希望、目標、目的どんな事でもいいからそういったものを持とうよ。仕事の中でもそういったものを持っという事はとっても大事な事だと思います。そこで語りのステージという物を作ってまして、うちの職員に、「えっここまでこの台本を持って釆たんですか。」なんて言われちゃったんですけれども。この講演をステージに立って皆で、自分のドリームを語って、親御さん方のこの子に対する夢等を語らして頂いて一つのステージを作り上げてます。皆とっても素敵で本番に強くて、スポットライトを浴びるとキラキラ輝いて、やって良かったなあと。拍手をもらって、カーテンが閉まった瞬間、「あ−来年は何をやる?」って言ってくれるんです。

 その中のちょっと一部をご紹介させて頂きます。新人さんなんですけれども、『僕は四月からクリーニング工房CoCoに勤め始めました。僕の仕事はタオルたたみや、結束や袋詰め等の仕事です。半年経ちましたが僕は休まず元気に働いています。夏の忙しい時には残業やって、遅くまで働きました。暑くて汗がどんどん出てきてとても大変でした。これからももっと大変な事があると思うけど、今度は正確に仕事をしていけるように頑張ろうと思います。僕は天然記念物の大きい木やお寺やお宮等を見て歩くのがとても好きです。これからも休みの日には行きたいと思います。家の手伝いも頑張ってやって、お父さんやお母さんを喜ばせたいです。他人から信用されるような人になるように努力しようと思います。それから戦争のない皆が仲良く暮らせる世界になったらいいなあと思います。』これが今年四月に養護学校の高等部を卒業した彼のマイドリームです。

 そしてこの子に対するお父さんからのメッセージです。としのり君って言うんですけどね。「としのりが、クリーニング工房CoCoさんへお世話になって、早半年以上になりましたが、何よりも嬉しい事は休まずに出勤でき、忙しい時には残業まで出来た事です。それも先輩職員の皆さんの暖かいご指導のお陰と感謝致します。五月で二十歳になり、来年はいよいよ成人式を迎えますが、彼なりに世の中に対する責任を果たせる事を望んでいます。としのりは家の手伝いを良くやってくれます。朝の生ゴミ捨てから始まり、母親の掃除洗濯の手伝い、玄関の掃除、工場へ行くまでの時間休みなく働いてくれます。四人の子供がいますが、今までこんなに良く手伝ってくれる者はおりません。としのりは私の自慢の種の一つです。これは遥かな望みですが。もし将来、としのりに良き伴侶が出来ればいいなとも考えております。夢であると思いますが。 父より」という事で、今年就職したという、フレッシュマンの素敵なメッセージと共に、それを一生懸命支えようとする親御さんのとてもいいケースのメッセージです。

 こんな素敵な親子関係の方々ばかりだと本当にいいかなという気もしますけれども、中には色々な親子関係の方も先程のお話の通りいらっしゃいますけれども、皆それぞれに色々な夢を持って希望を持って、頑張ってくれたらいいなと思っています。

 一つちょっと具体的な事で、これは女の子です。「私は目標にしていた長いテーブルクロスがたためるようになって嬉しいです。何度もくじけそうになったけど、これからも頑張って仕事をしていきたいと思います。」こう一つひとっの目標ですね。何かこう節目節目に、目標とか夢とかそういったものを書いたり、発表して頂いたりするようにしてます。うちの場合は職員の皆さんにもお願いしております。障害のない方にも、障害のある人もない人も、皆それぞれにこのクリーニング工房CoCoで何をしたいかなあ、それからクリーニング工房CoCo職場外の部分で、自分はどんな夢を描いていきたいかな、どんな目標をもっていきたいかな。多くの方は素敵な彼氏が欲しいとか、結婚したいとか、それから多いのは家族で旅行に行きたい、海外旅行に行きたいとか。そういった夢がとても多いです。必ず実現できるものと思ってます。毎年夢の変わる社員もおりますけれども。そんな素敵なものをいっまでも絶やさずに持って頂いて、皆さんの笑顔を失うことのない工場の運営をしていきたいなあと思っております。つたない話でございましたけれども、コーヒー一杯やりながら、ごゆっくりお聞き頂けましたでしょうか。五分時間残しましたんで、もしご質問等ございましたら、どうぞお願い致します。ありがとうございました。
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