平成11年11月16 日 (火)
クリーニング工房CoCo施設長(当時)
(現)法人常務理事  綿貫 好子

  現場で知的に障害のある皆さんと働いて、ささやかな体験談を本日お話させていただきます。
 この社会福祉法人設立母体の長野リネンサプライ株式会社で7年程前に須坂市に授産施設を設立させたいという希望を持ちまして準備していたのですが、挫折してしまいまして、ここから数え上げますと本当に7年8年という長い年月をかけて施設を運営することができたのです。わたしもたまたまそんな出会いもありまして、当初から建設に関わらせてもらいまして平成10年8月にオープンしました。

 知的障害のある方々でも、作業種によっては残存能力を発揮して、作業適応と社会適応ができ、人生をエンジョイできれば福祉工場の目的が達成されます。

 この社会福祉法人廣望会の設立母体は、先程からお話させていただいたように長野市にある長野リネンサプライという一企業であります。県内では、企業が法人を設立して施設を運用するというのは初めての取り組みでした。初めての取り組みでしたので、いろいろなご指導を頂きまして、何度も何度も挫折しかかり、一度はもう駄目だと言われて、お酒を飲むという元気もなくなりました。でも、知的障害のある方々も働きたいのだという意欲を持っておられるということになれば、ただその思い一筋に作りあげてきたわけですけれど、長野リネンサプライは社員は120名で、障害のある方は40名おります。20年程前になるでしょうか、須坂市に重度心身障害者雇用モデル事業所というものを作りました。そちらに知的に障害のある方が10名、重度身体障害の方が2名雇用させていただきました。労働省から建物機械設備等助成金を受けて建設されましたのが須坂工場であります。須坂工場には寮がございして、そちらには知的に障害がある皆さんが入って仕事をしております。

 それから5・6年経って長野日赤のすぐ近くにある本社工場を増築して、障害のある皆さんを雇用させて頂きました。40名の障害のある皆さんが働いていらっしやいます。重度身体障害者3名、内部障害の皆さんが1名、知的障害の方が36名です。

 このクリーニングの仕事の内容が知的に障害のある方に大変合っているようですので、全国でも同業の方が随分多く重度障害者を多数雇用事業所という事でお仕事されております。クリーニング業は障害のある方々に向いている職業だということで、県でも最初にお話を持って行きましたら、厚生省の方から、どうも労働省の方でクリーニング屋が良いようだからクリーニング屋さんに目を付けなさいというお話がありまして、本当にうまい所へ飛び込んじやつたかなとその時は思いました。

 今の長野リネンサプライの社長が、社会福祉法人の理事長でございますが、先代のお父さんが福祉に非常な力を入れておりまして、「今働いてくれるこの子たちが、綿貫さん、結婚させてやりたいなあ」「この子たち、将来するんかなあ」「仕事できなくなっちやつたらどうしてやったらいいだあなあ」なんて病気になられてやっとこすっとこ工場へ来られても、皆の顔を見ながらそんな事を気にしておられました。社会福祉法人を設立しまして、この子たちの行く末を見てあげられたらいいなあというふうに思いを込めていらっしやいまして、志し半ばで他界されてしまいました。今の社長がその遺志を受け継いで福祉工場建設へと事が進んだわけです。うちの監事が会計事務所の所長さんをしていらっしやるのですけれど、私ども「CoCoだより」を作っているのですが、ちょっと面白いこと書いてくださったので、読ませていただきます。

 従来の企業内の福祉工場を一歩進めるべく、この社会福祉法人が設立されたものであり、社会福祉法人廣望会は従来の施設型とは違い、ここで働く人達の自立をも目指した全く新しいタイプの企業型社会福祉法人と言える。前例のない社会福祉法人の設立だっただけに、何度も事務局は挫折しかかりながら、なんとか建設までこぎつけるまでに至ったのは、社会に貢献する新しい福祉法人を作らなければという使命感だったと思う。
 現代の経済社会は原則的には自由競争、弱肉強食のルールが支配する市場社会である。このような中で、廣望会が目指す企業内社会福祉法人を継続していくことは大変なことだと思う。社会や監督官庁からの福祉の名のもとに、安い労働力を得るためではないかという疑念に対して、常に働く人たち成長と満足の実績をもって応えていかないといけないし、その一方で組織継続、及び働く人の待遇改善のためには常に利益を上げなければならない。
 この二つのある意味では二律背反したテーマを同時に満たしていかなくてはならない。一人一人の能力を顛在化させ、この働きを成果に結びつけ、付加価値を創造し、上記した一見相矛盾する二つのテーマを同時に満たす余地は十分にあると思う。

というふうに書いてくださったんですが、本当に企業が福祉法人を設立して、そして福祉工場をするということで、ガラス張りの経営をしてくださいということを県から日々の如くご指導を受けました。
 今ここに正直にお読みさせていただきましたけれど、監事さんが書いて下さったような安い労働力を得て、うまいことやっているんじやないかという事は、社会の中では聞かれてきます。でも、そうではないということで、それを認めて頂くことは、これからの私たちのどう運営していくかの如何にかかっているということで、大変な緊張感をもっております。監事さんからもこのような素晴らしいことばをいただきましたので、やっていかなければいけないなと思っております。

 もう一つは、長野リネンサプライは障害者雇用をしておりますので、職安とか学校など各方面のよりハンディの重い方、より知的ハンディの重い方を使っていただけませんかということで、かなり多くの方々が訪問してくださいました。先生方も大変ご熱心に中学の特学の先生とか、養護学校の先生だとか生徒さんを連れて来られて、この子ならできると思うから是非雇用して下さいというお話をとてもたくさん頂くのです。職安の方でもとてもたくさん紹介してくださるんです。

 企業としてやっていく中ではちょっと難しい、先程福祉工場の目的という所に書いてございますけれど、働く力はあるけれど、身体的不自由とか8時間労働に耐えられないとか、人間関係でうまくやっていくことができないとか、そういう理由でどうしても、企業で雇用することは難しいという方々がとてもたくさんいらっしやつて、生徒さんやその方々とお話させていただくと、とても素敵な目で、「働きたいんだ」、「ぼく働きたいんだ」、「わたしあそこでタオルたたむ仕事をしたいんだ」ということを一生懸命言ってくださる。働きたいんだ、これを生かす場がなければいけないな。生かす場を是非つくりたい。

 うちの施設長は以前に長野養護学校で進路指導主事を10数年勤めた先生だったのです。施設長も知的障害の皆さんの学卒時の進路が大変だということで雇用拡大に苦慮しておりました。それで何とか考えてやりたいという事で、福祉工場建設を踏み切ったわけです。施設長は長野養護学校の多くの生徒さんを長野リネンサプライに紹介してくださり、多くの生徒さんを採用させて頂きました。ちょっと手に余る程豊かな皆さんも何人かおりまして、先生が退職されるようだという事を小耳に挟んで、うちの社長が早速鈴木先生のところへ行きまして「先生どうだい、うちも非常に個性豊かな生徒さんをたくさん紹介していただいてありがたい。ところで先生も退職されるようなので、うちへ来て面倒みてくれないか」と、うちの社長には施設建設の夢がございましたので、鈴木先生のお力を是非というところで施設長をお願い致しました。今は戸倉の地まで若槻から老体に鞭打ってお越し頂いているわけです。

 人材を求めてということですが、私は長野リネンサプライへ勤務しておりましたので、長野リネンサプライ、CoCoで採用を含めてお話させていただきますが、採用させていただいたからには、その子の障害を承知して、その子の個性を承知して採用するわけです。ですから共に定年退職を向かえるまで白髪が生えるまでは頑張ろうねと必ず握手をして、それだけの責任を持ちたいという事で採用させて頂いており_ます。採用というのは非常に難しいと思っております。

 一番は働きたいという意欲のある人です。それと8時間労働に耐えられる体力を持っていること、それには基本的生活習慣が身についているということが大切です。

 よくあるんですよ。面接に来られてお母さんと本人と職安さん学校の先生方と一緒にこられますよね。「是非クリーニング工房CoCoで働きたいのです」とおっしやるのはお母さんだったり先生だったりするわけで、「じやここでちょっと見学してみてどうだったかな」とか、「あなた本当に働きたいんかな」とか、「働きたいならここのどこの仕事したいのかな」というお話をするのですが、よくあるパターンは隣にいるお母さんが聞いてもいないのに、一生懸命に「そうなんですよ、先生、内の子はこの工場が本当に気に入りまして、是非この工場でみてもらえれば本当に有り難いのです」、「母ちやん黙ってくださいよ」と言っちゃいます。この本人に聞きたいんだ。ここで仕事したいか、本人の口からここで働きたいという言葉を聞かないと。「ここで働きたい、ここで仕事したい、お願いします。」という言葉を聞い
て採用決定させて頂いております。

 周囲ですべてお膳立てした就職はどこかで行き詰まるような気がいたします。自分は本当は本屋さんで仕事したいんだ、でも学校の先生も職業安定所の人もおうちの人もこのクリーニング屋がいいという、ここで仕事をすれば、お友達も一杯いるし、ここがいいから実習して就職しなさいと言っている。「私どうしようかな?」と言っている子もおりました。「よく考えてごらん、まだ時間あるから」 うちで実習してそれから他の仕事も実習して経験して、いろいろな仕事があるということを見て、本屋さんになりたいなら、本当に本屋さんになれるのか、本屋さんに行ってみてとお話しました。

 サービス業が好きな方とか、それぞれ個性がありますので、うちは福祉工場ですので、それなりきのシステムを組んでありますので、保護者の方に見学されると大変喜ばれます。素晴らしいですねとよろこばれて、こういう所でうちの子も働けば本当に幸せですねとおっしやいます。私どもそう言って頂けるために作ったわけですけれど、大変ありがたいわけです。

 ただ本人はどうかなあ。本人がやりたい気持ちを少しでも持ってもらわないと、どこかで挫折してしまうと思います。ですから、必ず本人の意志を最後の面接の時には確認させて頂いております。それと何回か転職されていらっしやる方、例えば、障害者の方の面接会というのが職安が主催で行われるわけですけれど、何回もお会いする方がいらっしやいます。お会いしましてその方木工所に勤めておったのですが、不景気で退職に至ってしまった。家庭の方へ帰った。仕事を探すわけですけれど、2年位職安にいますね。仕事を探していますけれど仕事がみつからない。職安へも通っていますけれどみつからない。お母さんと息子さんといらっしやつて、もう息子さんは36・7歳になっているんですけれど、「お母さんどうですか、そろそろ違った方法も。例えば、作業所ですとか、そういった所もございますけれど、そういった所でも相談されましたか」お母さんは、私もそう思うのですよ。父ちやんが駄目だというんです。作業所さんは1か月よくて1万5千円位ですかね。そこで働くとなると給料がぜんぜん違う額なのですよ。だから父ちゃんが、「そんな作業所じや駄目だ。ちゃんと働いて給料もらえる所に就職しなさい。」それを2年間続けてきて、駄目でも子に強いるのです。

 だれかがどうにかしてくれればいいかなあと、私は面接会場でしかお会いしていませんので、お母さんにボチボチお話ししているわけですけれど、そんなケースもございます。

 離職するからにはそれなりきの理由があるかと思います。私どもも離職されて中途採用させて頂いた方何人かいらっしやいますけれど、職安の紹介される方もおっしやるんですね。この方は長い間働いた経験もありますし、CoCoさん大丈夫ですから、福祉工場さん大丈夫ですから、実習はなんか必要ないですからとおっしやるのですが、ちょっと不安だったので、実習させていただきましたけれど、やはり離職するからには理由がありますね。それなりの。

 1名のかたは非常に身体に敏感で休みが多い。1か月間は大丈夫でした。4月に入社して4・5と非常に勤勉に勤めあげました。3月頃より崩れはじめました。お休みが多い。1週間でも休んでしまう。この子の場合にはバック背景もございまして、いろいろ問題等もあるんですけれど、そんなこともございます。

 知的に障害のある方の場合は、うちのクリーニング工場の中でもタオルの仕事はできても洗い場の仕事はできない、右にいた者が左に行っても戸惑ってしまう特性がございまして、だから、知的に障害のある方が今まで働いた経験があるから、全く違う職種でも、おたくでは大丈夫ですよといっちやうのはちょっと厳しいかなと思います。

 好かれる人は、明るく元気に挨拶ができて、わかってもわからなくても返事は元気に「はい」と言える人ですね。やる気を嘘でもいいから見せてくれる人ですね。嫌われる人は自分がトラブルメーカーになっているんだけれど、全くその事に気がつかない子がいるんですね。どうしようかなと呼んでお話すると、「そうなんですか、よくわかりました」と言うですけれど、男の方ですけれど、同じ繰り返しをずっと続けてしまって、女の子たちに嫌われてちょっと因っています。やっぱり自分中心の性格ですかね、そういった方はやはり嫌われてしまいます。

 職場定着への取り組みですけれど、私たちはこの子一人が働くという事を通じて自立した生活をして頂くために、どんな支援ができるかなとそれを一生懸命考えています。そんな中で、ただ働けでは知的に障害のある方はなかなかついて来れない。その中では一人では立てないわけで、とても大事な存在は保護者の方々ですね。私たちは保護者会を設立しております。昨年の8月にオープンしたばかりなので、今育成中でありましたが、保護者会の皆さんに協力支援をして頂いてやらなければ、やはりこの子たちの自立心はできないと思っていますので、社会のみなさんの活動はこれからもどんどん広げていきたいと思っています。
 保護者会の活動ですが、PTAの延長のようなものとお考えいただいて構いませんが、今やっておりますのは総会をやりまして事業計画をたてたり、講師の先生をお呼びしていろいろなお話をしていただいて研さんしていただきました。
 あと親子ミックスレクレーションということで、先日も白樺湖へ遊びに行ってまいりましたけれど、社員と保護者の方々と共に1日遊ぶ会とか、保護者の集いと言って温泉で一杯飲みながらざっくばらんな話、同じ障害を持つ親としてのいろいアーな悩みとか、そういうものを発散させる場所も作っております。それと日常的に工場の中で、カルチャー教室というものを行っております。私たちは工場で、働く場でありますので、時間を非常に制限されてしまいまして、お昼休み12時から12時50分の50分間とってあります。ちなみに3時から3時20分迄休憩でございます。午前中は休憩ありません。

 うちは栄養士1名雇いまして、ここで給食を作っております。企業では必要ありませんが福祉工場ですので、かなり古い福祉の理念に基づいているのでしょうか、「食べる」を大事に考え、そこで温かい食事を提供しなさいということですが、そうしております。ですから、食材費は自己負担で、職員も社員も同じ額を給料より天引きさせていただいております。栄養士さんに温かい食事を栄養価を考えて作っていただいております。今となっては、おいしい給食を作って頂けるので、私どもの方が喜んでおります。

 そのおいしい給食を食べたあと、カルチャー教室を行うわけですが、今までやったことを紹介させていただきます。先ずカルチャー教室で何をやりたいのか、皆に問うカルチャー教室をしました。それから、給料の事、初めて給料をもらう時に給料明細書をみんなにみせました。給料明細書には基本給いくら、通勤手当ていくら、厚生年金、健康保険が差し引かれますね。それから所得税、所得税につきましては皆さん本人が障害者ですから、ほとんど引かれませんが、たまたま高額とった時には所得税が引かれます。

 そんな給料の事ですね。給料明細を見せながら、初めて貰った給料で何が欲しいなんていうお詰もさせていただきます。皆さん親孝行です。本当に頭が下がる思いですけれど、初めて貰った給料でお父さんにラーメンご馳走したとか、おじいさんに小遣いあげたとか、頭が下がると言うか、どうして皆さんこんないい子育つか勉強させて頂きたいと思う位です。

 その頂いた給料をどうやって使おうか、どうやって貯めようか、それから皆んなご飯を家で食べているよね生活費として家へ入れようとか、そんなところまでお話しています。

 働いたら働いた喜び、給料もらう時一番いい顔しますね。でも一番いい顔するのはボーナスかな。働くと言うことはつらいけれど、その中で喜びがあるから働くわけで、喜びを教えないといけないと思うのです。ご家庭にも保護者のみなさんにもお話させていただいておりますけれど、私どもは私どもで、皆さんにお話頂ける中で、給料明細書を見ながら、どうやって貯めようか、どうやって使おうかお話をします。そこからあとは家庭で給料これだけもらってきたら、毎月積み立て幾らずつして、それからあとは将来、車の免許とりたいといっているから、車の免許とれるまで積み立て続けようね、それから生活費はちゃんと貰ってください。ちやんとお母さん方頂いてください。給料これはあなたの生活費ですよ。これはあなたの働いた給料の小遣いですよ。そういった事をちゃんと説明してあげて下さい。働いて給料明細書もらってくると「ご苦労さんだったね、大変だったね」とそのまま神棚に上げてパンパンとうつの。日常的には、この子が小遣いをもらうのはお母さんの財布から3日に500円とか、週に1000円とかもらう学校時代と何等変わらないようなやり方ではいけない。働いた給料で小遣いを使いなさいよ。ある範囲内で使いなさいよとそこまで説明しております。また大きな物を買うという夢も持たせてくださいというお話もしております。

 中にはこんな子もおります。3日に1回500円ですと、1か月5000円ですよね。給料も障害者年金もちゃんと貰っているんですけれど、それしか貰えないというんです。だから、ねだっちゃうんです。おやつ食べたいがないからねだっちゃうんです。そんな事も保護者の方にお話しなければいけないなと思っているんですけれど。

 CDって何ですか?って、知らないってことも今の時代にはちょっと疑問ですね。働いているんですから、「欲しいよ」と、そんなこともお父さんお母さんに言えるようになろうと話しております。

 それとカルチャー教室です。就業規則。勿論みんな働いていて下さるので、就業規則があります。これも細かくみんなにお請いたしました。それから年次休暇って何。それから年末調整って何。それからクリスマス会、忘年会はどんなふうにやろうかとみんなに企画してもらいました。それでクリスマス会を駅前の油やで盛大にカラオケを使ってやらせて頂きました。

 「残業みんなで頑張ろうね。」実は昨年8月1日にオープンしまして、最初は社員の皆さんは残業しませんでしたので、残った仕事は数名の職員が残りまして、夜中の10時、11時という事を続けさせていただきました。今年になりましてそんな苦労を知った社員がおりまして、数名ぼくたちにもやらせて下さいと言ってきたのです。「ああ、すごい、ありがたいな、見ているんだなあ。」、「そうだよね、残業やれば、残業手当てがつく」1.25倍です。ですから給料もいっぱいになる。そういう事も分かる子もおりますね。それで、その輪が広がりまして、カルチャー教室で残業やろうかという話になりました。ほとんどの子は1時間残業してくれます。4〜5名の子は2時間残業してくれます。7時10分まで。7時10分になりますと、長野から通勤しています彼等はとても寝る時間もなくなってしまうので、健康管理の上で2時間までとさせて頂いております。あと数名は残業はいやだと言って絶対やらない方、最高年齢41歳の彼氏なんですけれど、そんな方もいらっしゃいます。

 それから、ボーリング大会とかドッチボール大会ですとか、スポーツカルチャーも行っております。今年になりまして文化カルチャーで「語り」をやっております。11月28日にサンアップルで文化系の発表会というのがありまして、そこに参加させて頂きます。初めてのステージなので緊張しておりますけれど、皆で何とか頑張っていきたいなと思っております。

 そんなふうにカルチャー教室を組んで、皆からの要望を取り入れたいろいろなカルチャー教室を組んでやっております。

 それと、行事は季節毎の行事、春は花見、夏は焼き肉パーティー、それから一泊二日の社員職員旅行ですね。新年会ですとか、いろいろスーツを着て出席する場面ですとか、遊びに行くスタイルで行ける場面ですとか、いろいろな行事を組んでおります。それと学習会、今年やりましたのはまずクリーニングの基本というのを講師先生をお呼びして、長野リネンサプライの本社の部長さんですけれど、「シーツ1枚いくらか知っているかい、3000円するんだよ。その3000円のシーツをね、皆でズックの足の型をつけちゃうとこれは落ちないんです。3000円パーになってしまうんです。」そんなお話を分かりやすくして頂きました。

 ささやかな体験ということで、いくつかの例をお話させていただこうかなと思います。
 ひとつは今の福祉工場の場合に知的に障害のある方々のために作りました。工場ですので、職員の皆様にも障害のある方々への理解を深めるためのお話を、建設前から何回もさせて頂きました。ただ前身の長野リネンサプライは工場ですね。そういう地場の工場に就職される知的障害のある方が多いのではないかと思います。非常にアットホームに受け入れていただいたり、自分の役割が生かされる中で、そういった所に就職されるのではないかと思いますが、その中でひとつ私が感じたことですけれど、怒られることに慣れていない方が多くいらっしやいますね。

 やはり今の優しい時代の背景でしょうか、私も怒られることは嫌いですけれど、工場長さんとか現場で働いておられることなんか、日々の忙しい中で仕事していまして「あ−あ−、それあっちへ持って行け」とか、「いくら言ってもわけわかんねえな」とか、「全く」という言葉がぽんぽんぽんぽん出て来るわけですね。でも、そういう言葉に慣れていないんです。例えば、工場長さんが何げなしに「この野郎だめだ」と言ったことで、もう駄目になっちゃうんです。私たちは何故この子が駄目なんだか分かるんですけれど、これでは工場の中で仕事を通して生き抜いていけないですよね。そんなこともちょっと感じました。

 良い悪いは別だと思うんですけれど、それと注意されると面白くなくなっちゃうのです。「この仕事こうだよ」と教えてあげられる。それから「こうした方がいいよ」と言ったそれだけで面白くなくなっちゃう。素直に人の言うことが聞けない、そういった方も結構多いですね。でも、多くはそうでなくて素直な心で「はい、分かりました、今日は頑張りました、真面目にやりました」というのですが、一部の者が怒られることになってしまい、注意されると面白くない、仕事をやらなくなることがあります。

 あと細かいいろいろなケースもあるんですが、出来ることを認めてもらうという事なんですが、私たちもぼくたちも一人一人できるんだという事を認めてもらいたい、このエネルギーは凄いと思います。本当に一生懸命なのです。「良くできたね、頑張ったねえ」と言ってもらった時のうれしい姿ですね。言ってもらったあとの仕事というのも目に見えるようです。逆に何も言われなく、ひたすら頑張っているんだけれど無視されている。無視するのは非常に冷たい仕打ちなんですけれど、無視されてしまうと気が萎えてしまって、仕事に手がつかなくなってしまうとか、そういったことがあるんですけれど、「本当に出来たね、頑張ったね」と認めてやることは本当に素晴らしいことなんです。当たり前のことなんですけれど、どうしても仕事の忙しさにとらわれてしまって、そういったこともできなくなってしまうという事も現場の中では多々あります。

 長野リネンサプライに勤めております知的障害のある方ではクリーニング師という国家試験を一発で合格して持っている方もいます。それから、車の免許を持っている方もおります。車の免許は退職した方々も合わせますと、4〜5名の方が就職してからとっています。車の免許をとるという事をいろいろな所で議論されておりますが、個々の問題で、車の免許をとりましたので、トラックで運転して配送の仕事をしておるという方もおります。でも、中には車の免許をとったばっかりに3か月に1回事故を起こし、揚げ句の果てに、ナンパして女の子と同稜して、金遣いが荒くなって、こんな所では仕事していられないと、遊び仲間にもっといい仕事があるよと言われ、離職してしまって、仕事についたのはいいんだけれど、三日程で退職してしまうという。それから転職、転職という事で、今どうしているかなあと心配している子もおります。でも、クリーニング士の免許をとって、車の免許とって配送に出ている皆さんがいるという事は認めてあげたいと思います。

 それと、ぼくら一人一人できるんだ、認めてもらいたいというのは、同時に、先程お話しました市場競争が厳しい中で、知的障害者福祉工場もできるんだということを認めて頂くために、私たちはもっともっと汗を流さなければいけないと思っております。

 最後になりましたが、みんな素敵でありたいという事です。給料のこと少しお話させていただきます。さっきから申し上げているんですが、実際の数字申し上げていませんが、最低賃金は保証してくださいというのは福祉工場であります。うちには療育手帳Alの彼氏もいますし、自閉症の彼氏もいます。そんな中で最低賃金適用途外を申請致しまして、適用除外を受けている皆さんが4人か5人います。それ以外の皆さんは保証されます。残業手当てとか通勤手当てとか含めて、多い方では15万円程持っていっております。少ない方では6万円位です。皆さん障害者年金受給できる方です。おうちの方が貰っているのと同じように、私たちも働いて給料貰っているんだというその自信が社会生活の中で膨らんできているような気がします。

 就職してしばらくすると先生方が職場訪問で見に来てくださるんですが、顔つきが変わったね、とよく言われます。それから数年前見たことあるんだが、「ここに居たの」なんていうふうに、何年ぶりに会った先生が、この子がこんなに喋る子とは知らなかったと−ノ、テノ与」います。自分に自信をつけるということは素晴らしいことですね。

 一人で外出できなかった子が、一人で近くの店に買い物に行って、世の中そんなに廃れたものでない。千円札もって買い物に行けば、ちゃんと品物とお釣りを返してくれれる。買い物もできるようになった。そのうちに少し遠出するようになった.っ そうこうしているうちにアデランスさんに行って植毛なんか頼む子もいるようになった。非常に世間が広がってきた。

 よかれあしかれ、広がってきた素晴らしい子じやないかと思います。皆が一人一人素敵に輝けるために、自分に何ができるかな、雇用という福祉の中で措置費で保護されていくのではなくて、この子に働く残存能力があるならば、働きたいと言う意欲があるならば、働いて経済社会の中で働いて行きたいと考えております。

 この子はいずれ結婚されるだろうし、出産もするんだと思います。その時に例えば、この子が家族を養っていけるだけの給料をクリーニング工房CoCoは払って上げることができるだろうか、やはり力をつけておかなければいけないなあ、なんてそんな事まで思っております。

 最後になりますが、皆様方進路指導の中で大変でしょうが、作業学習と作業習慣を身につけさせなければいけないという事で大変な思いをしていらっしやると思いますけれど、社会生活の適応指導をこちらの方にも十分考慮して、指導していただけたら有難いなと思っております。それと、この子の社会的背景・家庭的なもの経済的なもの、それから、この子の個性・特性といったものを隠さずお話いただきまして、就職するからにはこの子のいい部分だけをアピールしていくわけですけれど、でも、正直にお話していただきますとこちらでもそれだけの対応ができますので、そこまでお話できるように事業者の方と先生方が仲良くなってお話頂くと、その子の定着率がよくなるのではないかと思います。

 以上でお話終わらせて頂きます。


平成12年度 教育相談室紀要 16 より
長野市教育センター教育相談室

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